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チョウ・ディン関係資料集

全文紹介コーナーに「チョウ・ディン関係資料集」をアップしました。

第1弾は、豊島梢著「怖い蹴球の柔術 チョー、ディンさんの蹴球談」『運動界』誌4巻9号(1923年9月)p.127-129、です。今後、『運動界』に掲載されたチョウ・ディン著「勝敗を断ずる三原則 優勝者アストラは斯の特長を有して居た」(1924年3月号)、「左様なら 親しいフットボラーに」(1924年5月号)の掲載を予定しています。

「勝敗を断ずる・・・」の著者肩書きはアストラ、クラブコーチア。ディンはアストラのコーチもしていて、第3回全日本選手権(1924年度 現在の天皇杯)で優勝を飾っています。『アストラクラブ 輝かしき80年の歴史』(アストラ倶楽部,1998)中の「第1回座談会<戦前編・大正から昭和20年まで>」で渡辺良吉氏(1929年卒)が、

“私が中学のころ、チョーデインという外人、ビルマ人でしたがアストラでサッカーを教えてもらいました。30歳ぐらいでしたが、はだしでボールを蹴り、インサイドステップのシュートはものすごかった。
 それから帝国大学に竹腰さんという方がいて、この2人が全国を回って教えていた。アストラと帝国大学と試合をしたけれど、竹腰さんはとにかく上手でした。”(p.79-80)

という発言をなさっています。これが唯一ディンに言及している部分で、 ディンの写真などはありませんでした。

「怖い蹴球・・・」によれば、ディンは第一次大戦従軍経験者(エジプト・メソポタミヤ戦線なので、アラビアのロレンスと同じ戦場)で、“ビルマの強いのはどうしたら強い英国ティームを破る事が出来るかと本当に其ればかり研究して居るからで「蹴球の柔術」といったものは本当に進んで居ます。英人とビルマ人は身体に差があるから斯うしたものを考へたのです。”と述べています。ショートパス戦術でなく、“柔術”なんですね(笑)

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Comments

チョーデイン氏のその後はどうなったのでしょう?
この件に関して書いた記事を見た記憶がありません。

Posted by: 藤大納言 | September 20, 2004 at 10:38 PM

消息不明のようです。戦後日本代表がビルマ遠征したとき、消息を尋ねたが不明だったという記事を読んだ記憶があります。

『附属中学サッカーのあゆみ』(1984)にディンと同時期にサッカーの指導をしていたモン・エフ・ペー氏は昭和17年当時日本軍憲兵隊の通訳をしていたという記事があるのですが。→日本蹴球界の恩人モン・エフ・ペー氏(ラングーン特電)(藤岡端)

Posted by: 蹴球閑人 | September 21, 2004 at 08:39 PM

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