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チョウ・ディンの歴史的役割

ディンの「勝敗を断ずる三原則 優勝者アストラは斯の特長を有して居た」『運動界』5巻3号(1924年3月)をアップしました。

明治期に東京高等師範学校で始まったサッカーは、まずその卒業生の赴任先である師範学校、中学校に普及します。本格的に普及したのは学校の絶対数が増えた大正時代(第一次世界大戦後)の1910年代末から1920年代にかけてです。それらの中学校卒業生が(旧制)高校、さらに大学(高校も大学もこの時代に大幅増設された)に進学した1920年代に高校、大学でサッカーが始まります。このあたりの詳細は本サイト「ボトム・アップでレベル・アップした戦前の日本サッカー」をご覧ください。

従って、サッカーの大会、リーグ戦は中学校、高校、大学の順に始まります。
1918年 中学校の「日本フートボール大会」(大阪毎日新聞主催 現在の高校選手権の前身)が大阪で、「関東蹴球大会」(東京蹴球団主催)が東京で始まる
1921年 大日本蹴球協会結成 全日本選手権(現在の天皇杯の前身)始まる
1923年 (旧制)高校の全国高校選手権(インターハイ)始まる
1924年 関東、関西で大学リーグ戦始まる

ディンは早稲田高等学院(早稲田大学の予科、すなわち高校相当課程)コーチとして1923年、24年のインターハイを連覇、アストラ倶楽部(暁星中学のOBチーム)コーチとして1924年全日本選手権を制覇しています。大毎と東京蹴球団主催の中学大会は当時は関西、関東の地方大会で、東西大学1位対抗戦が未だ行われていなかった当時、サッカーの2大全国大会を異なるチームで僅かの間に制覇しています。

ディンが活躍した1920年代前半は、上級学校に進学した中学校卒業生が、東京高師OBの教える従来のサッカーよりもう一段上の戦術やそれに必要な基礎技術を求めていた時代だったといえます。ディンにコーチング法やその内容については、竹腰重丸がその著書に具体的に記述していますので、「チョウ・ディン資料集」にそれも採録しようと思っています。

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