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鉄道とスポーツ

菊谷匡祐著『早慶戦の百年』(集英社,2003)によれば、最初の早慶戦は明治36(1903)年11月21日三田綱町の慶應グラウンドで行われたそうですが、その当時はまだ鉄道(市街電車)を利用できず、“早稲田の野球部員は朝早くに下駄履きで戸塚村を出発し、赤坂、麻布を通ってやっと三田にたどり着いた。”(p.16)とのこと。

さすがに、神宮外苑に競技場や野球場ができるころには市街電車網が完成し、青山一丁目は5方向から来る市電の大ジャンクションになっていたようです。

大正時代に大学から小学校まで各種のリーグ戦やトーナメント大会が開催されるようになったのは、学校数が増えてサッカーが普及しただけでなく、鉄道網が発達して容易に試合開催地に到達できるようになったのも一因といえるでしょう。

第一次大戦後に成立した原敬の政友会内閣(最初の政党内閣)は、鉄道網の拡充と中・高等教育機関の増設を政策の柱としていたのですが、今からみれば「スポーツのインフラ整備」といえないこともありません。

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藤枝東の赤星がレッズに

これでまたひとつ阪神タイガースとの共通点が・・

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メキシコ・リーグのプレーオフ

メキシコ・リーグはプレーオフ・システムを採用しているようで、2003年度はリーグ3位のパチューカが優勝しているようです。↓

http://www.tsp21.com/sports/soccer/leagues/mexico2003.html

近隣にチャンピオンズ・リーグをやるような国もなさそうなので、独走チームが出たりしてリーグが盛り上がらない場合を考えて作られたものでしょうか? Jリーグも少なくとも事例研究はしておくべきでは。

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世界最初のサッカー・ジャーナリスト

C. W. Alcock氏は実は世界最初のサッカー・ジャーナリストでもあります。『A football compendium. 2nd ed.』(British Library, 1999)によれば、彼が編纂した『The football annual』London:Spotsman Office,1869-1908は“This important series continued the vital coverage of the game throughout its formative and early days.”とのことです。この資料はBritish Libraryで閲覧できるようで、書誌レコードは以下のとおりです。

Title The Football Annual. 1873-1907/8.
Publisher/year London, 1873 [1908.]
Physical descr. 8º.
General note The vol. for 1873 is of the second edition. Wanting the issues for 1878, 1890, 1894, 1901/2.
Genre/form Periodical publications.- London
Added name ALCOCK, Charles William.
Serial holdings Item (All years)
Holdings (BL) P.P.2489.wf. Request
Control number 002844490
003004141

彼の本職はスポーツ新聞“The sportsman”の副編集長だったそうですが、British Libraryの書誌レコードは以下のとおり。

Title The Sportsman.
Dates of pub. no.1-17237 = 12 Aug.1865 - 22 Nov.1924.
General note Discontinued.
Microfilm.
Added Place name England -- London.
Serial holdings Item (All years)
Holdings (BL) British Library NPL Shelfmarks held at Newspaper Library issue desk Request
Control number 005334344
005588250

ヴィクトリア時代のスポーツ新聞がどんなものだったのか、想像もつきませんが。

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C. W. Alcock氏の業績

FAの創成期に事務局長であったC. W. Alcock氏の著作は、日本最初のサッカー専門書、東京高等師範学校フットボール部編『アッソシエーションフットボール』(鐘美堂,1903)の参考図書にあげられています。彼にはFAルールの統一、FAカップの創設という業績があるのですが、後のサッカー史に多大な影響をあたえたもうひとつの業績がFIFAの『フットボールの歴史』(講談社,2004)に記されていました。

“・・・FAは選手資格を保留したり剥奪することで、金銭を受け取ってプレーしている選手を不法扱いしようとした。だが、その転機は1984-85シーズンに訪れた。1884年の初め、プレストン・ノース・エンドはアプトン・パークとFAカップの4回戦のホームゲームを戦った。この試合を引き分けた後、ロンドンの紳士たちによるアマチュアチームは、プロ選手が含まれていたとプレストンを非難した。FAによる調査が行われ、プロ選手の存在は証明されなかったものの、プレストンが他の地区から不法に選手を呼び寄せたことが判明したため、同チームはFAカップから失格となった。これを受けてランカシャーにあるクラブの多くが会合を開き、ロンドン地域を拠点にしたFAから離脱する可能性について話し合うこととなった。40のクラブの代表がマンチェスターで会合を開き、新たにブリティッシュ・フットボール協会を創設すると脅しをかけた。対立は社会的、地域的、かつ感情的なものであった。つまり、南北間のライバル心、反ロンドンの感情が対立の重要な要素であった。しかし一部のFA指導者たち、特にオルコック事務局長には、FAが今後ともフットボールを掌握し続けるためには、プロ選手を容認しなければならないことを理解していた。そこで1885年、プロ選手がFAの管理下で合法化されることで合意したのである。”(p.19-20)

FAがプロアマ問題でプロとアマ、北部と南部で分裂の危機にあった際、それを回避し、全国協会がプロとアマの両方を管轄するという現在のサッカー協会のあり方の“祖形”を作ったのがC. W. Alcock氏だったわけです。

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新渡戸稲造談『野球と其害毒』

全文紹介コーナーに「新渡戸稲造談『野球と其害毒』」を追加しました。この文献はサッカー史よりも野球史の重要文献として知られています。東京朝日新聞が明治44(1911)年8月29日~9月19日にかけて22回掲載した反野球キャンペーンの第1回ですが、以下のように蹴球にも言及しています。

“私も日本の野球史以前には自分で球を縫ったり打棒を作ったりして野球をやった事もあった。野球と云ふ遊戯は悪く云へば巾着切の遊戯 対手を常にペテンに掛けよう、計略に陥れよう、塁を盗まうなどと眼を四方八面に配り神経を鋭くしてやる遊びである。故に米人には適するが英人や独逸人には決して出来ない。彼の英国の国技たる蹴球の様に鼻が曲っても顎骨が歪むでも球に齧付いて居る様な勇剛な遊びは米人には出来ぬ。”

“巾着切の遊戯”たる野球に較べて、“英国の国技”にして“勇剛な遊び”たる蹴球を奨励しているようにとれないこともありません。 

1910年代以降サッカーは中学校にも普及していくのですが、過熱する野球人気に危機感を抱いた教育者が蹴球を奨励したという側面もあるようです。元来英国のパブリック・スクール発祥の規律を重視した競技なので、「上から奨励」されても不思議はないですが。

現在FIFAの『フットボールの歴史』を読んでいる最中ですが、最初はどこの国でも中上流の人々から普及したようです。また、なぜか先に野球が普及した地域ではあまり普及しなかったようでもあります。

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部制(ディビジョン・システム)の不思議

新規参入をめぐって野球とサッカーの違いが注目されています。閉鎖的な野球に対して、JFL→J2→J1とディビジョン制で比較的オープンなサッカーが対比されています。

ところで、サッカーの部制は1924年東京コレッヂリーグが始まったときにすでに採用されていて、最初1部にいた一高(第一高等学校)はあっという間に下部リーグに転落してしまいます。1920年代から30年代にかけて東大が6連覇しますが、1部に東大と一高(卒業生の多くが東大に進学した)が同居してたわけだから東大が強いはずです。部制の採用に際して野津謙(後第4代JFA会長)がリーダーシップを発揮したという文献を読んだ記憶がありますが、何気に読んでしまい、何に書いてあったか忘れてしまいました(笑)。サッカーでは整然とした階層性が保たれ、今日に至っています。

翌1925年に始まった東京六大学野球はご存知のように“万年最下位”東大が陥落しない閉鎖的なリーグです。
他の大学は別のリーグを作るしかないので、東都大学や首都大学など様々なリーグが並列的に存在し、今日に至っています(部制を採用し、入れ替え戦のあるリーグもありますが)。

今日のJリーグとプロ野球のシステムの違いは1920年代に成立した大学サッカーと大学野球のシステムの違いに由来するのではないでしょうか。

東京コレッヂリーグが何をモデルにしたのかは不明ですが、“母国”イングランドで1888-89年度に始まったフットボール・リーグは1892-93年度に2部制、1920-21年度に3部制になっています。野球の方も何をモデルにしたかわかりませんが、アメリカの閉鎖的なカンファレンス(アイヴィー・リーグ、BIG10、PAC10などのような)をモデルにしたのかもしれません。

サッカーと野球の違いはゲームあるいはその母国のカルチャーの違いを反映したものかもしれません。少なくとも、カワブチとナベツネの人格の違いを反映したものではありません。

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追加しました

「日本蹴球協会機関誌『サッカー』総目次(no.1-40 1959.1-1964.7)」に31号(1962年)を追加しました。

『実戦サッカーナンバーワン』(フレーベル館,1975)に目次情報を追加しました。

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