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日本におけるサッカーの伝来

先日来の当日誌で紹介したとおり、海軍兵学寮説は沢鑑之丞著『海軍兵学寮』(興亜日本社,1942)に、
工部大学校説は旧工部大学校史料編纂会編『旧工部大学校史料』(虎之門会,1931)に記載があります。
工部大学校の方は、公式資料である『工部大学校学課並諸規則』(明治18年4月改正)にも「フートボール」に
関する記述がありました。ともに1874(明治7)年に行われたようです。

『旧工部大学校史料』を復刻した『旧工部大学校史料・同附録』(青史社,1978)の「附録」の部分に
同校OBの回想があり、アソシエーション式であったという“証言”があります。

では、海軍兵学寮はどうだったんでしょうか?

私は海軍兵学寮もラグビーではなく、アソシエーション式すなわちサッカーだったのではないかと思います。その理由は、

1.最初にやる球技としては、ルールの複雑なラグビーより単純なサッカーがふさわしい。
2.1874年3月21日に同校が開催した「競闘遊戯」の種目をみると、

第一 十五歳以下ノ生徒三百「ヤード」ノ距離ヲ平駆スル事
第二 十五歳以上ノ生徒六百「ヤード」ノ距離ヲ平駆スル事
第三 十二歳以下ノ生徒百五十「ヤード」ノ距離ヲ平駆スル事

などとなっています。15歳が基準になっていて12歳以下の生徒すらいたようです。生徒の年齢から考えても、ラグビーよりサッカーがふさわしいでしょう。
3.同校も工部大学校も病休の者が多く、そのため両校とも英人教師がスポーツを奨励したようです。病上がりの生徒が多かったわけで、やはりいきなり激しいラグビーをやらせるより、ダンゴになってボールを追っかけるサッカーの方がふさわしいと思われます。
4.沢鑑之丞『海軍兵学寮』(興亜日本社,1942)に“「フットボール」(蹴球)”と記されていますが、1942年当時「蹴球」はサッカーを意味していたはずです。

以上はあくまで当て推量であり、海軍兵学寮もアソシエーション式のフットボール(サッカー)だったという文献は、
今のところ発見できていません。

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