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日本で初めてサッカーをした「可能性」のある人々-工部大学校篇

帝国海軍最大の栄光、日露戦争時に海軍の要職をしめた兵学寮OBに較べて、工部大学校OBがいささか地味目なのはしかたのないところ。

『工部省沿革報告』(大蔵省,1889)のp.975-978に工部大学校第1回~7回卒業生の「卒業生徒姓名及学科等級表」が掲載されています。

http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40020744&VOL_NUM=00000&KOMA=509&ITYPE=0

第1回に東京駅を設計した辰野金吾、東宮御所や迎賓館(赤坂離宮)を設計した片山東熊、慶応義塾図書館を設計した曽根達蔵(造家科)、タカジアスターゼの高峰譲吉(化学科)、第3回に「電気の父」佐藤市助(電信科)、第5回に琵琶湖疎水の田辺朔郎(土木科)などの名がみえます。こうしてみると「作品」が後世に残った建築、土木出身の人は得かもしれません。

海軍兵学寮にせよ工部大学校にせよ著名人を輩出しているので、それらの人々の伝記や回想録などをあたることができれば、またなにか別の“証拠”を見つけることができるかもしれません。

新コラム「日本におけるサッカーの伝来に関する一考察」に着手しました。

http://fukuju3.hp.infoseek.co.jp/colum8.htm

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