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野球史とサッカー史における日系移民の役割

『広島一中国泰寺高百年史』に1913年野球部は広島に遠征してきたハワイハイスクールチームと対戦、9-7で勝利(p.277)、とありました。1905年、すなわち東京高師で正式のサッカーが始まった直後、早稲田野球部は米国本土に遠征し、ワインドアップ投法など本場の技術・戦術を学んで帰国しています。英語もろくにできない早稲田チームの世話を焼いたのは日系人。http://www.ochanoma.info/sc_baseball.html によれば、日本チームが渡米しただけでなく、主として日系人からなる米国チームも早くから来日し、本場のプレーを伝えたようです。

サッカーが初めて“本場”に遠征するのは1936年のベルリン・オリンピックですから、その差はあまりにも大きいです。野球の場合、ハワイや西海岸に多くの日系人が居住していたことが、“本場”との交流に役立ったのですが、サッカーでは戦後のブラジルとの交流を待たなければなりませんでした。

野球では、米国(ハワイ)生まれ若林忠志(野球の殿堂入り http://www.baseball-museum.or.jp/baseball_hallo/detail/detail_017.html)、与那嶺要(野球の殿堂入り http://www.baseball-museum.or.jp/baseball_hallo/detail/detail_112.html)、カイザーこと田中義雄らが名選手・監督として野球史に大きな足跡を残しています。野球では、若林や田中のようにすでに戦前から多くの日系人が活躍しています。

サッカーでもJSL時代、ネルソン吉村をはじめとしてセルジオ越後、ジョージ与那城らが来日し、本場ブラジルのプレースタイルを伝え、日本サッカーの発展に寄与したことは記憶に新しいところです。

日本の南米移民が本格化したのは、米国で排日移民法が成立した1924年以降のこと、現地のスポーツに親しむことができる二世・三世が成人するまでかなりのタイム・ラグがあり、それが野球史とサッカー史における日系人の活躍の“時差”になったというべきでしょう。

野球本でもサッカー本でも“外人”をとりあげた本はあるのですが、それぞれの競技の範囲内にとどまっています。移民史も含めて野球とサッカーにおける日系人の役割をトータルな視点でとりあげれば面白いヨミモノができそうな気がするのですが。

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