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蹴球太平記

今週号の『サッカーマガジン』のコラムで牛木素吉郎氏がサッカー殿堂入りされた新田純興氏について述べられています。

以前、このサイトで「殿堂作るなら山田午郎氏と新田純興氏を入れろ」とか「サッカーミュージアムに図書室作れ」とか勝手なことを書いていたら、いずれも短時間で実現してしまいました。

ところで、新田純興氏は新田義貞の末裔とのことですが、日本が国際戦初勝利した1927年極東大会の代表メンバーに高師康(早稲田→朝日新聞)という人がいます。この姓名だとどうしても高師直を連想しますよね。ひょっとして子孫ということも・・

高師康氏は埼玉師範附属小学校の学童サッカー1期生とのことです。1920年代に少年サッカー出身の代表選手がいた、という事実は日本サッカー史において注目すべきことではないかと思います。

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田辺朔郎

琵琶湖疎水を作り、その水力発電により日本初の路面電車や西陣織を近代化させ、古都京都の再生に貢献した田辺朔郎博士が工部大学校時代サッカーをやっていたと自ら書いている文献がありました。

工部大学校運動記事

 拝啓陳者過日古川阪次郎氏の認められた工部大学校の運動の記事中に小生の名前も出て居りますから左に記憶を述べます。

 バーと云ふ先生は明治十一年来朝同十四年帰国され簡易な製図の受持であって運動に尽力されました。クリッケト、シンテーも盛んであった。フートボールでは一方のキャプテンはバー先生で一方のキャプテンは当時運動の達人鈴木録之助(採鉱)であって私は鈴木君の下にバイスキャプテンであった。ボールは手に持つことは禁じてあって、バー先生と鈴木君のボールの飛躍は抜群であった。或るとき私は足先を蹴られて挫かれた為に三週間病院へ入院した事がありました、此の怪我以来私はあまり運動場へ行かなくなりました。

『旧工部大学校史料附録』p.166

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