サッカーやラグビーが日本に普及し始めた頃、ワーテルローの英雄ウェリントン公爵が母校イートン(実は中退)を訪問した際に言った、
「ワーテルローの勝利はイートンの運動場から生まれた」(「ワーテルローの戦いはイートンの校庭で勝った」などかなりのバリエーションがあるようです)
という引用句がよく紹介されています。サッカーもラグビーもイートンの校庭で行われた競技を都合よく解釈しているわけですが、もちろんウェリントン公がイートンを訪問した当時サッカーもラグビーも未だ誕生していません。
ところで、この引用句の出拠はなにかということで、寺崎昌男編『教育名言辞典』(東京書籍,1999)を調べてみると、
“「ウォーターローの戦いはイートンの運動場で勝った」
<出典>イギリス、ウェリントン公アーサー・ウェルズリー(Arthur Wellesley, 1st Duke of Wellington 一七六九-一八五二)が言ったと伝えられる言葉。
<解説>一八二五年頃、ウェリントン公が母校のイートン校でクリケットを観戦中に、「ウォーターローの戦いはここで勝った」と口にしたと言われる。発言内容は、口伝えに伝えられているうちに、「ここで」が「イートンの運動場で」となって流布した。しかし、第二次世界大戦後、第七代目のウェリントン公がこの言葉の出生を否認し、初代がこんなことを口にした証拠はないと述べ、誤伝だと言い切り、さらに、証拠があったら示して欲しいと述べたので、新たな話題となり、出典自体が問題になっている。・・
(中略)
流布されていくうちに、重点は少しずつ変化し、表現も格言風に変わっていった。「クリケット」は、十一人ずつ二組になり、木の球をバットで打ち、三柱門の間を走り、得点を競う競技であるが、チーム対チームがグラウンドで飛び回る「サッカー」に変わったり、「ラグビー」になったりした。もちろんウェリントン公の語り口も、観戦中のつぶやきから、試合後の祝宴におけるスピーチに変わったりした。・・”(p.277-278)
とのこと。出典は明記されていません。ネット上ではどうかというと、Eigen's Political & Historical Quatationsという引用句DBでは、
“The Battle of Waterloo was won on the playing fields of Eton.”
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http://www.politicalquotes.org/Quotedisplay.aspx?DocID=37438
出典は相変わらず不明です。「イートン ワーテルロー」でググってみるとWikipedia「イートン・カレッジ」に、
“ナポレオンを破った著名な軍人ウェリントン公アーサー・ウェルズリーが「ワーテルローの戦いはイートン校の運動場で勝ち取られた」と言った話は有名である。しかしこの格言に疑義を唱える者もいる。ウェルズリーはイートン・カレッジに入学したが、学費不足と不熱心さのため退学している。また、18世紀末、学校に運動場や組織だったスポーツはなかったと言う説もある。また、この格言自体がウェルズリーの死の3年後に初めて記録されているのである。しかしウェルズリーがイートン・カレッジで人気があったのは事実で、彼は晩年何度もイートンを訪れている。”
という記載があります。岡山中・高のHPには、
“ウェリントンが実際に「ウォータールーの戦いはイートン校の運動場で勝ち取られた」と言ったということは、ありそうもない話だからであります。1855年にフランスの歴史家でもあり政治家でもあるシャルル・モンタランベールが、「イギリスの政治的未来について」という論文の中で、ウェリントンに言及した時には、ウェリントンは3年前に死亡していたのであります。” → http://www.okayama-h.ed.jp/micheal_j.html
モンタランベールの『イギリスの政治的未来について』というのが出典のようです。ブリタニカのHPでは、Charles-forbes-rené, Count De Montalembert(1810-1870)の著作とは、『De L'Avenir politique de l'Angleterre』 (1856; “The Political Future of England”)が相当するようです。
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http://www.britannica.com/eb/article-9053475
上記引用句はウェリントン将軍の著作ではなく、フランス人がフランス語で書いた本からの引用だったようです。ということで本書第6版『De L'Avenir politique de l'Angleterre. 6e ed.』(Paris, Didier, 1860)にあたってみると、
“C'est ici qu'a été gagnée la bataille de Waterloo.”(p.178)
という記述が見つかりました。『教育名言辞典』の「ウォーターローの戦いはここで勝った」という訳は妥当ですが、前後をみても「Eaton」、「Cricket」という言葉もこの「発言」の典拠も記載されていませんでした。英語版“The Battle of Waterloo was won on the playing fields of Eton.” が流布しているとすれば、ウェリントン公の子孫が怒るのも無理はない・・