野球殿堂の掲額者
野球殿堂の掲額者(名選手系)で大学野球関係者でない人を年次順に見ると、
(→ http://www.baseball-museum.or.jp/baseball_hallo/list/year.html)
沢村栄治、ヴィクトル・スタルヒン、川上哲治、藤村富美男、西沢道夫、吉原正喜、別所毅彦、小鶴誠、千葉茂、飯田徳治、白石勝巳、金田正一、野村克也、真田重藏、張本勲、稲尾和久、王貞治、与那嶺要、呉昌征、衣笠祥雄、大杉勝男、中西太、広瀬叔功、米田哲也、小山正明、長谷川良平、山内一弘、鈴木啓示、福本豊、仰木彬、村田兆治、門田博光、高木守道、山田久志、豊田泰光
の各氏になります。
1)沢村、スタルヒンの例にみられるように、競技のプロ化が大学関係者以外の“歴史的大選手”を生んでいる。殿堂入りした高卒(戦前は中卒)の大選手は全員プロ野球選手。
2)殿堂入りするような実績を作るには長い年月が必要なので、比較的近年殿堂入りしている人たちは高卒が多い。
ということが読み取れます。プロ化が遅れていたら、すなわちアマチュア時代がもっと長く続いていたら、サッカー同様殿堂入りする名選手は大学出ばかりになっていたでしょう。
Comments
ベースボールマガジンから「高校野球甲子園優勝物語」というムックが出ています。
http://www.amazon.co.jp/%9Ad8h21%91cet03u3250W12Q2aRddr69%8A9e/dp/458361408X
なかなか面白かった。
大正期の優勝校は、公立だと今は県下随一の進学校になっているような学校(旧制:和歌山中・愛知一中・神戸一中・静岡中)。
私立だと、今でもハイソサエティな私学の名門(慶応・関西学院、あるいは甲陽。優勝ではないが第1回には早実も出ていた)。
昭和に入って、中京商の3連覇あたりから野球の強豪としての名門校伝統校が台頭するして、選手の出身階層が大衆化していった気がします。
この辺は、英国サッカーでアマチュアからプロフェッショナルへの移行に通じるものがある気がします。
沢村はこの世代の選手で、この人は、うどん屋の息子で、素封家の令嬢と結婚することになって当時のことだから色々大変だったという話が伝わっています。
http://f55.aaa.livedoor.jp/~amaxanou/zatsugaku6ura.htm
これ比べると、ベルリンの奇跡のサッカー選手たちは、やはりエリート、ハイソな感じがして、まだまだ大衆化という点で野球に先行されていた気がします。
Posted by: さけのべ | September 09, 2006 11:31 PM
野球の場合は普通中学→実業(商業)学校が岐路ったんでしょうか。大正・昭和初期には大学進学に際しての授業料免除などがあったようです。平安中(現平安高)が売り出したころ、台湾からの野球留学生を大量に起用して顰蹙をかったようです。
Posted by: 蹴球閑人 | September 11, 2006 07:33 PM