今村次吉
大日本蹴球協会初代会長(1921-1933)
『昭和人名辞典』(日本図書センター,1987 『大衆人事録』第14版(帝国秘密探偵社昭和17~18年刊)の改題複製)によれば、
“従四勲四 大日本レスリング協会 大日本蹴球協会名誉会長 大日本体育協会顧問 本郷区駒込曙町一〇ノ四 電大塚一九六 [閲歴]医博今村新吉の弟 明治十四年三月生れ 先代田亀の養子となる 同三七年東大法科卒業大蔵書記官露国駐在財務官市財務局長歴職 曩に亜細亜林業社長日露実業常務たり [家庭]妻喜久子(明一八)本府加地吉彦妹 長男進一(明四〇)経済学士三菱銀行勤 同妻登代子(明四四)京都府片岡安二女 二女孝子(明四四)御茶水高女卒雙葉高女教師 二男誠次(大三)帝大経済学部卒 三男省三(大六)慶大卒 四女亀代子(大九) 五女富亀子(昭二) 長女貞子(明四一)雙葉高女卒は司税官坂口芳久に三女亀美子は福島順三に各嫁す [参照]今村新吉”
大日本体育協会理事だった関係で引っ張り出されたようです。3団体が鼎立していたレスリングでも、“中立”ということで会長に担がれており、“すわりのいい”タイプだったのではないでしょうか。中学校は東京高等師範附属中学ということで、サッカー人脈とはまったく無関係ということはなかったはずです。
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