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山田午郎氏の父

山田午郎氏(1894-1958)の父の略歴が『二本松市史 第9巻』(二本松市,1989)にありました。福島県本宮町長だったようです。

“山田光尚 少年隊・町長 没年月日・享年:昭和6年1月19日 77歳 出生地:二本松 死亡地:福島市 墓所:大隣寺 幼名・通称・字・諱・雅号など:左馬吉 伝記:戊辰戦争に際し14歳で出陣。維新後、郡吏員となり、のち本宮町長に挙げられた。晩年は福島市に住し、囲碁・魚釣に余生を送った。”(p.110)

ロッキード事件などで知られる政界の黒幕、児玉誉士夫(1911-1984)も二本松出身、しかも山田姓の家系だったとのこと。自伝『悪政・銃声・乱世』(廣済堂出版,1974)によれば、

“わたしの先祖は、代々が二本松藩で槍術の指南役をつとめて、累代、山田兵蔵を名乗ったが、祖父のときに兵太夫と改名した。わたしの父は酉四郎といい、わかい時分におなじ二本松藩の御典医、児玉家から望まれて養子となり、児玉姓を名乗ることになった。”(p.16)

『二本松市史 第9巻』には山田兵太夫も記載されています。

“山田兵太夫 藩士 伝記:明治2年の貨幣贋造事件で、羽瀬兵衛・大関市右衛門・大鐘具・大島成度らと共に捕われ、東京に護送されて伝馬町に投獄。のち釈放された。”(p.110)

祖父の代からアブナイ仕事とは縁が・・ 二本松児玉家の祖らしき人物も記載されています。

“児玉益庵 藩医 幼名・通称・字・諱・雅号など:道古 伝記:毛利家家臣児玉吉兵衛の子。寛永11年、2代藩主丹羽長重に医業を以って召し抱えられ、400石を給される。”(p.63)


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