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嘉納治五郎と坪井玄道の出自

先日ある会合で嘉納治五郎と坪井玄道は体育における遊戯性を重視した比較的リベラル?な考えの持ち主だったことが話題にあがりました。

嘉納治五郎は菊正宗、白鶴、白鷹という灘の生一本のナショナル・ブランドを醸する嘉納一族の出身です。江戸時代から続く嘉納家は酒造だけでなく、樽回船といわれた海運業、倉庫業、金融業などを営む財閥でした。体協の歴史の本には、裕福に育った治五郎は三井に「これ以上寄付は請いません」と一札とられたりして嫌気がさしたことも、体協会長を辞する理由のひとつだったと書いてあった記憶があります。今どうなっているか知りませんが、1970年代には阪急御影駅から白鶴美術館(美術館のパンフレットには治五郎は白鶴の嘉納家の系譜だとかいてあった)にいく道筋には門から玄関が見えないような豪邸が立ち並び、表札には「嘉納」とありました。

坪井玄道は農民出身で、窮屈な兵式体操には反対の立場だったようです。

何でも出自に還元してしまうのもどうかと思いますが、日本スポーツの黎明期に町人出身の嘉納が東京師範学校校長で、農民出身の坪井が体育教授だったことは歴史の偶然であり、幸運だったのでしょうか。

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Comments

何年か前に、菊正宗や白鶴等の御影郷一体の酒造メーカー巡りをしたことがありますが、嘉納家があったかどうか記憶にありません。こじつけかもしれませんが、戦前は嘉納治五郎→御影師範→神戸一中と、兵庫県には日本サッカーの磁場の中心があった気がします。今は何処にあるんでしょうね。

Posted by: 菅大納言 | November 03, 2006 05:04 PM

酒蔵があるのは阪神沿線より海よりで、高級住宅街は阪急より山よりです。昔『戦争と人間』(原作者の五味川純平は竹腰重丸の大連一中の後輩)という映画で財閥邸宅(モデルは鮎川義介?→日産の創業者→サッカーと関係w)のロケは御影の邸宅を借りて行われたと聞いたことがあります。

故・田辺五兵衛氏も御影にお住まいとのことで、サッカーとはなにかとゆかりがある土地であるといえます。今では御影工業高くらいか・・

Posted by: 蹴球閑人 | November 03, 2006 09:50 PM

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