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後藤鎭平著『布哇邦人野球史』

後藤鎭平著『布哇邦人野球史 野球壹百年祭記念』(文生書院,2004 初期在北米日本人の記録. 布哇編 第9冊 布哇邦人野球史出版會昭和15年刊の複製)という資料を見つけました。

ハワイへの野球普及は意外に早く、近代野球の父といわれるアレキサンダー・カートライト氏本人が独立王国時代の1849年にホノルルに移住しているとのことです。アメリカ野球殿堂の情報ではホノルルで消防署長をしてたのこと。

日本人が初めて野球選手として名を残したのは1904年ヒロ市選抜チームに選ばれた望戸万次郎とのこと。最初の邦人チームは日進軍で1905年結成。

野球史とサッカー史における日系移民の役割に記した1913年のハワイハイスクールチームの日本遠征についても触れており、

“・・三ヶ月の見学中諸所にて各中学と十回の試合をなし、横浜商業及広島中学校等に惜しくも敗けしも、中学野球界の雄者たる慶應普通部及早稲田中学等に勝ちて、布哇中学生の気焔を思ふ儘上げた。母邦試合に於ける成績は五勝五敗である。”

と記されています。1915年には全日本人軍が遠征し、14戦8勝6敗。最初の来日大学チームも1907年のセントルイス大学(ミズーリではなくハワイ在)でしたが、日系人はいなかったようです。

「布哇に来征せる母邦チーム略史」によれば、

1905年 早稲田 試合せず練習のみ(本土遠征)
1908年 慶應 7勝7敗1分け
1910年 早稲田 11勝14敗
1912年 慶應 7勝4敗(本土にも遠征)
1914年 慶應 3勝6敗(本土にも遠征)
1915年 明治 6勝11敗
1916年 早稲田 4勝5敗(本土にも遠征)
1921年 早稲田 3勝5敗(本土にも遠征)
1924年 明治 3勝3敗(本土にも遠征)
1925年 大阪毎日野球団 5勝6敗1分け(本土にも遠征)
1927年 早稲田 5勝1敗 (本土にも遠征)
1928年 慶應 9勝3敗(本土にも遠征)
1929年 法政 4勝5敗1分け(ホノルルのみの成績)
      広陵中 10勝7敗3分け
1931年 明治 11勝5敗
      広島商業 3勝1分け
1932年 立教 6勝3敗
      早稲田 9勝2敗
1933年 関西大 7勝4敗
1934年 明治 8勝4敗
1935年 大日本東京野球倶楽部(後の巨人) 2勝3敗(本土にも遠征) 
1936年 関西大 22勝2敗
1938年 早稲田 8勝1敗
1940年 慶應 10勝2敗

ハイスクールチームが日本遠征しただけでなく、中学校まで米国遠征しており、1936年のベルリン五輪が初の“本場”体験だったサッカーと大違いです。戦前の野球はサッカーよりもずっと“本場”との距離が近かったことがわかります。

明治から太平洋戦争直前までほとんど毎年のように“本場”に遠征しています。東大以外の5大学はすべて遠征しています。特に早慶明の3大学は遠征が恒例化していたようです。戦前の有力選手は六大学出身者が多いのですが、ほとんどの人が渡米経験を有しているようです。大学出でない沢村栄治やスタルヒンも大日本東京野球倶楽部の一員として渡米しています。成績は最初のうちこそ負け越していますが、後年は完全に勝ち越しており、日本野球のレベル向上を示しています。

広陵と広島商業は中学校にもかかわらず本場と交流しています。広島県は有数の移民輩出県であることと関係しているのでしょう。広島は有数の野球県でもありますが、本場との交流がレベルを高めたことは確実です。

ハワイには“支那人”チームもあってこれがなかなか強かったようですが、なぜ中国に普及しなかったのか不思議です。 

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