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野球という訳語の成立年

君島一郎著『日本野球創世記 : 創始時代と一高時代』(ベースボール・マガジン社,1972)「第四章 「野球名付け親」をめぐって-中馬庚と正岡子規と」の冒頭は以下のとおり。

「野球」ときめる

 明治二十七年の秋、ある晩のこと、青井が寄宿舎の片隅で彼の得意のバット「千本素振り」をやっていると、中馬庚が息をはずませてやって来て「青井、よい訳を見つけたぞ。Ball in the field-野球はどうだ」
 
 これは正に適訳! と他の選手たちも賛成で、ここにベースボールの訳語「野球」がきまった。青井の直話である。”(p.53)

文中の青井は野球殿堂入りした一高初期の名投手青井鉞男

「ベースボールを『野球』と訳した球人」として中馬庚も同じく野球殿堂入りしており、「明治27年ベースボールを「野球」と最初に訳した人」 となっています。上記君島氏(1887年生 一高野球部員として青井らから“直話”を聞くことができた)の明治27年説が採用されています。

 ところで、中馬の著書『野球』(前川善兵衛,1893)「野球の大要」には、

“我ニアッテハ明治二十六年四月以来第一高等中学校ニ於テ其野外ノ遊戯ナルヲ以テ庭球ニ対シテ野球ト命名セル”

とあって、明治26年に命名したと明記されています。

 また、慶応義塾体育会のHP中の体育会の歴史では、明治25年に野球部が成立したように読めます。

 どういう経緯で明治27年説が定説になったのでしょうか?

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女のやるスポーツ

米国議会図書館DBで書名中にsoccerを含む、出版年が特定できる最も古いレコードは1917年刊の2例です。

LC Control Number: 17007051
Type of Material: Book (Print, Microform, Electronic, etc.)
Personal Name: Morgan, Mary C., ed.
Main Title: Girls and athletics, giving a brief summary of the activity, rules
and method of administration of the following games in girls’ schools and co
lleges, women’s clubs, etc.: archery, basket ball, cricket, fencing, field da
y, field hockey, gymnastics, golf, hand ball, ice hockey, indoor base ball, ro
wing, soccer, skating, swimming, tennis, track athletics, volley ball, walking
, water polo, water basket ball, ed. by Mary C. Morgan.
Published/Created: New York, American sports publishing company [c1917]
Description: 157 p. front. (port.) plates, diagrs. 17 cm.

LC Control Number: 17029521
Type of Material: Book (Print, Microform, Electronic, etc.)
Personal Name: Gillespie, Robert J. [from old catalog]
Main Title: Simplified soccer, one hundred and ten knotty problems of the grea
t international game made plain and briefly explained,
Published/Created: [New York] American sports publishing co., c1917.
Description: 17 p. 17 cm.

最初のものは女性向けのスポーツといて紹介しているようです。戦前のレコード全体をみても「女性向け」スポーツとしてサッカーを紹介しているものが目立ちます。米国でサッカーが(男性に)普及しなかったのは、最初から

男性:アメフト(ベースボール)
女性:サッカー(ソフトボール)

という位置づけで紹介されてしまったためかもしれません。マチズモ(マッチョイズム)文化の色濃い米国で、サッカーが「女のやるスポーツ」とみなされてしまったことは、サッカーの普及にとってかなりの痛手だったのでは。

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天下のサッカー稀書

『兵庫県御影師範学校創立六十周年記念誌』(兵庫県御影師範学校同窓義会,1936)の蹴球部の項の末尾は以下のとおり。

“二三年来御影のラストを飾れと叫ばれつつある中に大きな汚点を印したりとはいへ募集人員の漸減運動部数の膨張部員皆選手といふ状態で人選の往時の如く意の如くならない怒があり時勢の然らしむる所である。”(p.683)

御影師範は1937年に姫路師範と統合されて兵庫師範となり、運動部制度が廃止されます。上記のように、末期には部員が減って、選手層が薄くなっていたようです。

御影師範には、御影蹴球団編『兵庫県御影師範学校蹴球部回顧録』(神戸:御影蹴球団本部,1967)という部史があるのですが、これは神戸FCの田辺文庫以外で見たことがありません。ライバル神戸一中(神戸高校)には『神戸一中蹴球史』(1937)、『ボールを蹴って50年』(1966)という数あるサッカー部史中でも傑出したできばえの部史があって、神戸市立中央図書館などで閲覧できるのですが、戦前の中等サッカー界で極めて大きな存在であった御影師範の部史に容易にアクセスできないのは残念です。

神戸一中の部史に、年齢制限のオカゲで御影師範に勝って全国制覇できた、などということは絶対に記されるはずがありません。

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全国中等学校蹴球大会の年齢制限

『兵庫県御影師範学校創立六十周年記念誌』(兵庫県御影師範学校同窓義会,1936)の蹴球部の項(p.677-683)昭和四年度(1929年)に以下の記述があります。

“全国大会の予選が来た。本年より出場選手に年齢の制限が出来た、忽ちオミットされる者が出て来た、不運な年が廻り合はして来た、予選の優勝戦神戸一中と東遊園地に戦ったが遂に利非ず名ゴールキーパー黒崎も如何ともすること能はず一点を許してしまった。”(p.682)

予選で御影師範に勝った神戸一中は第12回本大会でも優勝しています。全国中等学校蹴球大会の予選地区割りでも記しているように、第9回~第11回まで参加していた朝鮮は第12回から参加しなくなります(第20回から復帰)。おそらく年齢制限が関係しているのではないでしょうか。

同書の昭和十年度(1935年)には、

“第十七回大毎の全国大会が始めて夏開かれる事になった。而るに又もや第二次年齢制限が加へられ五年生二名の選手が出場不可能となり遂に予選に敗れてしまった。”(p.683)

とあります。第17回大会も神戸一中が全国制覇。第17回以降は、第19回の埼玉師範を除いて優勝校は中学校になります。これも当然第二次年齢制限の影響といえるでしょう。

第一次年齢制限ができた1929年といえば、大日本蹴球協会の理事選で師範系OBから大学系OBへの“クーデター”があった年です。大学出、すなわち中学校OBがサッカー界の主導権を握った年に年齢制限ができたことになります。

あるいは、主催者の大阪毎日新聞が、地味な「師範学校大会」では華がないので、話題性のある中学校の後押しをしたとも考えられます。同じ毎日新聞主催の選抜高校野球の21世紀枠みたいに。

中学校は尋常小学校から直接入学の5年制、師範学校は尋常小学校から2年制の高等小学校を経て入学の5年制なので、5年生時点で通常2歳差があり、学制的に師範学校が有利なのですが、師範学校は貧しい家庭の子弟が多く、入学時点で「回り道」していた人も大勢いたはずです。教育制度が内地と異なる朝鮮も年齢制限が堪えたと思われます。ベルリン五輪代表の金容植氏は普成専門学校生(内地の大学に相当)でしたが、年齢は25,6歳だったはずです。

戦後師範学校は大学に昇格し、中等教育サッカーとは関係なくなるのですが、全国中等学校蹴球大会における年齢制限はサッカーのエリート・スポーツ化を進める要因のひとつだったといえるでしょう。

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第7回極東大会の監督

後藤健生氏の『日本サッカー史 資料編』には1930年以後の日本代表監督のプロフィールが記載されています。それ以前も姓名が判別すれば(姓のみの場合もある)記載されています。第7回1925年度極東選手権大会(マニラ開催)の監督は空白になっています。

山田午郎氏は『ア式フットボール』(杉田日進堂,1925)の序文では、

“極東に於て、各種運動競技の選手権大会が開かれることにすでに七回、中でもア式蹴球は中華民国が実に六回連勝の栄誉を担ってゐる。今回マニラの地に開かれた第七回極東競技大会に於ても、フィッリピンを五対一で破り、わがティームを二対零で破って堂々と勝利を占めてゐる。これは単に体格ばかりに依るといふことは出来ない。彼は幼児からボールに接する機会が多い。つまり長い間の好める運動として練習の機会が多い。著者が今回の大回(ママ)にア式蹴球の監督としてマニラに往復する途中親しく上海、香港に於ける彼等の愛好するフットボールについて見たのに、五六歳の小児から十七八歳の元気あふれる青年迄一所になって盛んに蹴って居る、...”

と記しており、もう1冊の著書『蹴球のコーチと練習の秘訣』(目黒書店,1932)でも、「自序」で、

“大正十四年マニラに開かれた第七回極東選手権競技大会の砌不肖監督として代表チームに随行した当時とか其後蹴球協会理事をしてゐた時の方がこの様なものをまとめるに都合がよかったであらう。”(p.2)
(注:砌=みぎり)

と述べています。当時、山田氏はサッカー報道の第一人者、かつ大日本蹴球協会理事経験者としてサッカー界でその名を知らない人はいないくらいの人物だったので、まったくデタラメを書いたとは思えません。

①後藤氏の著作にないということは、公的記録に監督に関する記載がなかった。
②従って、自分が監督であったという事実を自著であえて強調する必要があった。

とも推測できますが、日本サッカー史のミステリーのひとつといえるでしょう。

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イギリス最初のsoccer本

イギリスで最初に書名にsoccerをつけた本の英国図書館の書誌データは、

System number:002334608
Author - personal:MACWEENEY, John A.
Title:Football Guide; or, How to play “Soccer.” By S. Bloomer, J. T. Robertson, J. Kirwan, J. Ashcroft, W. Bull, A. Compton, A. McCombie, J. Cameron, and “McW.” Edited by J. A. McWeeney.
Publisher/year:pp. 129. [1906.]
Physical descr. .
Link note:In : Spalding (A. G.) Spalding’s Athletic Library. no. 14. [1906, etc.] 8º.
Holdings (All) :Details
Shelfmark:07908.i.14/14. Request

主書名が『Football Guide』、副書名が『How to play “Soccer.”』と主書名にfootball、副書名にsoccerをつけるのは最初のsoccer本以来の伝統なのかも・・ soccerにクオテーション・マークがついてます。

本書はP. J. Seddon編『Football compendium. 2nd ed.』(British Library, 1999)にも解題つきで収録されており、解題の冒頭は、

“Early instructional manuals are important sources for the football historian as they contain contributions from leading players and personalities from an era when strictly autobiographical works were essentially unheard of.”

で、各著者のプロフィールは、Bloomerがダービーからミドルスブラ、イングランド代表FW、Robertsonがレンジャーズからチェルシーの選手兼監督、Kirwanがスパーズからチェルシーのウイング、AshcroftがアーセナルのGK、BullがスパーズのCH、Comptonは記載がなく、McCombieがサンダーランドからニューキャッスルのFB、Cameronがスパーズの監督とのこと。

シリーズ名はSpalding’s Athletic Libraryです。Spaldingは日本野球史とも関わりが深いアメリカのスポーツ用品メーカー(1876年創業。創業者はボストン・レッドソックスの投手、すなわち松坂の大先輩)ですが、英国図書館DBをこのシリーズ名で検索するとクリケットなど英国スポーツの本も出しており、当時すでにイギリスにも進出していたようです。

System number:003037508
Title:Cricket Guide, and how to play Cricket.
Publisher/year:pp. 117. 1906.
Link note:In : Spalding (A. J.) Spalding’s Athletic Library. no. 12. [1906, etc.] 8º.
Added Entry:RAṆAJITSIṂHAJĪ, Maharaja Jam Sahib of Nawanagar main entry
Holdings (All):Details
Shelfmark:07908.i.14/12. Request
 

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イギリスでsoccer本が増えている理由

英国図書館のIntegrated Catalogueを書名「soccer」で検索した結果数を刊行年代別に記すと、

-1899      0 
1900-09    1 
1910-19    1
1920-29    7
1930-39    6 
1940-49    33
1950-59    55
1960-69    98
1970-79   124
1980-89   148
1990-99   373
2000-     231

イギリスでも年を追って書名にsoccerを含む本が増えています。理由として考えられるのは、

北米市場

アメリカでも学校サッカーは盛んで、上達法本やコーチ法本にはアメリカでも需要が見込めるので、アメフトと誤解されないように書名にsoccerをつける。
例:
System number:013220953
Author - personal:Carr, Tony.
Title:How to coach a soccer team : professional advice on building a winning team / Tony Carr ; foreword by Rio Ferdinand.
Publisher/year:London : Hamlyn, 2005.
Physical descr:144 p. : col. ill., ports (some col.) ; 26 cm.

ネット市場

Amazon.comの登場と成長に示されるように、本はネットで買う時代になりました。そうなると、書籍データベースで検索されることを想定して、より識別性のある語を書名に含ませる必要があります。footballのみで検索するとrugbyやamericanなど膨大なノイズを生じるのです。主書名はfootballでも副書名やシリーズ名にsoccerを含ませて識別性を高めるとともに、①で述べたように北米市場をもめざすマーケティング戦略です。
例:
System number:012992225
Author - personal:Barrett, Norman S.
Title:The Daily Telegraph football chronicle : a season-by-season account of the soccer stories that made the headlines from 1863 to the present day / Norman Barrett.
Edition:6th ed.
Portion of title:Football chronicle
Publisher/year:London : Carlton, 2004.
Physical descr.: 360 p. : ill. (chiefly col.) ; 29 cm.

大人の通向け本だと推測されますが、主書名にfootball、副書名にsoccerと涙ぐましい?努力が感じられます。

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東京高師主催「中等学校ア式蹴球大会」優勝校

出拠:『附属中学サッカーのあゆみ』(東京高等師範学校附属中学蹴球部六十周年誌編纂委員会,1984)

東京高師(東京文理大)主催「中等学校ア式蹴球大会」は一部(中学校)、二部(師範学校)の2部制で行われた。毎年秋(主として8月末から9月)に開催された。一部(中学校)の優勝校は以下のとおり(右は準優勝校)。参加校は北は北海道から西は愛知県まで、実質的な東日本大会だった。

第1回(1924年) 暁星中3-0豊山中
第2回(1925年) 高師附中3-1暁星中
第3回(1926年) 高師附中6-0成城中
第4回(1927年) 高師附中2-0東京府立五中
第5回(1928年) 高師附中3-2東京府立五中
第6回(1929年) 高師附中2-0東京府立五中
第7回(1930年) 高師附中3-1湘南中
第8回(1931年) 志太中2-1湘南中 (本年から東京文理大主催)
第9回(1932年) 高師附中5-3志太中

1933年に関東中等学校蹴球選手権大会東京府予選(関東蹴球協会主催 東京朝日新聞後援)が始まっており、東京蹴球団主催(東京朝日後援)の関東蹴球大会(第15回 1933年1月まで開催 青山師範優勝)と合併したもよう。

関東蹴球協会主催第1回関東中等学校蹴球選手権大会(1934年8月)では、朝日が後援から降りている。関東地方(山梨を含む)のみの参加。決勝は青山師範3-1韮崎。

関東蹴球協会主催第2回関東中等学校蹴球選手権大会(1935年8月)の決勝は韮崎3-0埼玉師範。これで終わりか?

埼玉師範は1937年大毎主催の全国中等学校蹴球大会(現在の高校選手権)を制覇。1931年に東日本を制した志太中(現・藤枝東高)、1935年に関東を制した韮崎と、埼玉、静岡、山梨は戦前から実績があり、山神静を1地区とする全国中等学校蹴球大会の予選地区割りは疑問です。

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全国中等学校蹴球大会の予選地区割り

現在の高校選手権の前身、全国中等学校蹴球大会は第9回1926年から全国大会になります(第1~8回日本フートボール大会は関西地区からのみ、府県予選なしのオープン参加)。第9回は8地区から8代表が参加しています。地区割りは、

第9回(1926年)  関東、東海、北陸、京滋奈、阪和、兵庫、中国、朝鮮
第10回(1928年) 同上
第11回(1929年) 同上
第12回(1930年) 北海道、関東、東海、北陸、京滋奈、阪和、兵庫、中国、九州(朝鮮不参加)
第13回(1931年) 同上
第14回(1932年) 北海道、東北北関東東京南関東、東海、北陸、京滋奈、阪和、兵庫、中国、九州
第15回(1933年) 北海道、東北、北関東、東京、東海、北陸、京滋奈、阪和、兵庫、中国、四国、九州
第16回(1934年) 同上
第17回(1935年) 北海道、東北、関東、東京、東海、北陸、京滋奈、阪和、兵庫、中国、四国、九州
第18回(1936年) 北海道、東北、関東、東千山神静、東海、北陸、京滋奈、阪和、兵庫、中国、四国、北九州南九州
第19回(1937年) 北海道、東北、関東、東千、山神静、東海、北陸、京滋奈、阪和、兵庫、中国、四国、九州
第20回(1938年) 北海道、東北、関東、東京、山神静、東海、北陸、京滋奈、阪和、兵庫、中国、四国、北九州南九州朝鮮台湾
第21回(1939年) 北海道、東北、関東、東京、山神静、東海、北陸、近畿、阪和、兵庫、中国、四国、北九州、南九州、朝鮮、台湾
第22回(1940年) 同上

地元兵庫県は最初から1県1校と優遇されています(途中から東京府も)。1936年から山神静が1地区化されてますが、こういう区分けは当時としても疑問だったのでは。静岡県は1936年ベルリン五輪代表16名中6人を送り込んでいますし、山神も韮崎、湘南など古豪揃い。現在この地域のJチーム数は7で、うちJ1が6チームも!

 

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