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全国中等学校蹴球大会の年齢制限

『兵庫県御影師範学校創立六十周年記念誌』(兵庫県御影師範学校同窓義会,1936)の蹴球部の項(p.677-683)昭和四年度(1929年)に以下の記述があります。

“全国大会の予選が来た。本年より出場選手に年齢の制限が出来た、忽ちオミットされる者が出て来た、不運な年が廻り合はして来た、予選の優勝戦神戸一中と東遊園地に戦ったが遂に利非ず名ゴールキーパー黒崎も如何ともすること能はず一点を許してしまった。”(p.682)

予選で御影師範に勝った神戸一中は第12回本大会でも優勝しています。全国中等学校蹴球大会の予選地区割りでも記しているように、第9回~第11回まで参加していた朝鮮は第12回から参加しなくなります(第20回から復帰)。おそらく年齢制限が関係しているのではないでしょうか。

同書の昭和十年度(1935年)には、

“第十七回大毎の全国大会が始めて夏開かれる事になった。而るに又もや第二次年齢制限が加へられ五年生二名の選手が出場不可能となり遂に予選に敗れてしまった。”(p.683)

とあります。第17回大会も神戸一中が全国制覇。第17回以降は、第19回の埼玉師範を除いて優勝校は中学校になります。これも当然第二次年齢制限の影響といえるでしょう。

第一次年齢制限ができた1929年といえば、大日本蹴球協会の理事選で師範系OBから大学系OBへの“クーデター”があった年です。大学出、すなわち中学校OBがサッカー界の主導権を握った年に年齢制限ができたことになります。

あるいは、主催者の大阪毎日新聞が、地味な「師範学校大会」では華がないので、話題性のある中学校の後押しをしたとも考えられます。同じ毎日新聞主催の選抜高校野球の21世紀枠みたいに。

中学校は尋常小学校から直接入学の5年制、師範学校は尋常小学校から2年制の高等小学校を経て入学の5年制なので、5年生時点で通常2歳差があり、学制的に師範学校が有利なのですが、師範学校は貧しい家庭の子弟が多く、入学時点で「回り道」していた人も大勢いたはずです。教育制度が内地と異なる朝鮮も年齢制限が堪えたと思われます。ベルリン五輪代表の金容植氏は普成専門学校生(内地の大学に相当)でしたが、年齢は25,6歳だったはずです。

戦後師範学校は大学に昇格し、中等教育サッカーとは関係なくなるのですが、全国中等学校蹴球大会における年齢制限はサッカーのエリート・スポーツ化を進める要因のひとつだったといえるでしょう。

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