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戦前日本人のハイベリー(アーセナル)詣で

昨日の日誌で斎藤才三が1931年にハイベリーでアーセナル戦を観戦したこと、アーセナルの新戦術、WM(3バック)システムはベルリン五輪以前に日本でも知られていたことを記しました。ベルリン五輪に参加した人たちも、こぞってロンドンに渡ってアーセナル戦を観戦しています。現在わかっている日本人のアーセナル戦観戦記録を以下に記します。

斎藤才三 1931年9月29日 ハイベリー 対ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン戦

竹腰重丸・田辺五兵衛 1936年8月29日 ハイベリー 対エバートン戦

竹腰重丸 1936年9月3日 ブレントフォード 対ブレントフォード戦

竹内悌三 1936年10月24日 ハイベリー 対グリムズビー・タウン戦

竹腰・田辺が観戦したエバートンのCFは、1927-28年度にシーズン60得点(39試合)という不滅の最多得点を記録したDixie Dean。空中戦に滅法強いこの人のようなCF対策のために、CHをバックラインに下げてCFのストッパーにするWMシステムが誕生しました。リンク先中ほどに「Dixie Dean being closely marked by Herbie Roberts of Arsenal」という、Deanを密着マークしているアーセナルの長身CH、Robertsの写真があります。おそらく、両人は単なる3バックシステムだけでなく、「ディーン対ロバーツの一騎打ち」という当時イングランド・リーグ最大の見ものを観戦するために、エバートン戦をわざわざ選んだのだと思います。竹腰はアウェー戦までアーセナルを追っかけてます。 

1968年にアーセナルが初のイングランド・プロチームとして来日したとき、牛木素吉郎氏が『サッカーマガジン』誌のコラム「すばらしかったアーセナル」(1968年7月号)中で、

“3年ほど前に、サッカー協会のお偉方がアーセナルを日本に呼ぼうとしていたとき、ぼくはこういってクギをさしたことがある。
 「お年寄りの郷愁で招待チームを決めてもらっては困りますよ。高いギャラを払うのなら同じイギリスでもマンチェスター・ユナイテッドぐらいのチームがいい」
 日本のサッカーがはじめてヨーロッパにいったベルリン・オリンピックのころ、イギリスではアーセナルの黄金時代で、現在協会の常務理事をしておられる年代の方々は “アーセナル” の名前をきくと、心臓のあたりが、じーんとしてくるらしいのだ。”

と述べられているのには、こういう背景があったわけです。当時アーセナルは「体を張った堅い守り」が身上の地味なチームで、マンUは対照的にジョージ・ベストやボビー・チャールトンのようなスーパースターがいた華やかなチームでした。

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