« April 2008 | Main | June 2008 »

FA史の本にも日本へのカップ寄贈の記録が

さる方のご好意により、『The history of the Football Association』(London : for the Football Association by The Naldrett Press, [1953])p.488のコピーをいただきました。以下の記述があります。

“1919 - Communications from the Foreign Office were considered by the F.A. Emergency Committee. The Committee authorized the purchase of a Silver Cup and invited its acceptance through His Britannic Majesty's Embassy in Japan, as a perpetual Challenge Cup for Competition in that country.”

『The Times』1919年1月3日付け記事「FOOTBALL CUP FOR JAPAN」に、

“The request that the cup should be given by the
Football Association came through the British
Foreign Office, and it was complied with immediately.”

とあったのと同様、FAに対するカップ寄贈依頼は英国外務省を通してであったことを確証する記録といえます。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

1932年の道府県別中等学校チーム数

昨日のをさらに道府県別に細分すると、

北海道 4/8

青森 0/0
岩手 1/2
宮城 3/4
福島 0/0
秋田 0/0
山形 0/0

茨城 2/3
千葉 1/2
東京 16/23
神奈川 8/10
埼玉 5/7 
群馬 1/2
栃木 2/3
山梨 2/4

静岡 3/5
愛知 6/13
岐阜 2/5
長野 0/0
新潟 0/0
富山 0/1
金沢 1/1
福井 0/0
三重 0/0

滋賀 1/3
京都 1/2
大阪 12/19
奈良 0/1
和歌山 5/5
兵庫 12/19

岡山 2/3
広島 9/11
山口 2/4
鳥取 0/0
島根 2/2

徳島 0/0
香川 0/0
高知 0/0
愛媛 2/3

福岡 1/1
佐賀 0/1
長崎 1/2
熊本 4/5
大分 2/4
宮崎 0/0
鹿児島 2/5
沖縄 0/0

2桁あるのは東京、神奈川、愛知、大阪、兵庫、広島の6府県で、いずれも現在J所在都府県です(広島以外はJ1所在)。空白県が13ありますが、現在J所在県は山形、新潟、徳島で、J1に限定すれば新潟のみになりますね。サッカーの地域的濃淡は意外にヒストリカルなものなのかもしれません。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

1932年のJFA加盟中学校チーム

蹴球年鑑 1932年版』収載「昭和七年度加盟チーム調一覧」によると、中等教育レベル加盟チームは地域別で以下のとおりです。分母は全数、分子は普通中数。(+ )は師範学校数。

【東北】4(+2)/6:岩手師範、盛岡中、仙台ニ中、東北学院中、宮城師範、仙台一中

【東海】11(+4)/23:熱田中、刈谷中、愛知県工、小牧中、愛知県商、愛知県第一師範、津島中、豊橋中、明倫中、東海商、東邦商、豊橋市商、名古屋市商、大垣商、岐阜中、岐阜師範、岐阜一工、恵那中、志太中、静岡師範、静岡中、浜松師範、浜松一中

【北陸】1(+0)/2:富山商、金沢一中

【北海道】4(+1)/8:札幌一中、札幌ニ中、北海中、小樽商、函館師範、函館商、函館工、函館中

【関西】31(+6)/49:上宮中、市岡中、豊中中、今宮中、生野中、堺中、住吉中、八尾中、岸和田中、高津中、桃山中、天王寺師範、池田師範、明星商、京阪商、北陽商、泉尾工、都島工、鳳中、和歌山中、海草中、粉河中、海南中、新宮中、奈良師範、滋賀師範、八日市中、八幡商、京都ニ商、福知山中、姫路中、神戸一中、神戸ニ中、神戸三中、洲本中、小野中、三田中、甲陽中、灘中、関西学院中、神港中、兵庫県工、神戸一商、第一神港商、第二神港商、第三神港商、御影師範、姫路師範、滝川中

【中国四国】17(+4)/23:岡山師範、津山中、岡山二中、広島一中、広島高師附中、広島師範、修道中、広陵中、興文中、忠海中、広島二中、尾道中、広島商船、三次中、浜田中、大社中、山口師範、山口中、徳山中、下関商、愛媛師範、松山中、大洲中

【九州】10(+6)/18:長崎師範、島原中、熊本中、玉江中、済々中、熊本師範、宇土中、大分師範、大分中、中津中、大分商、鹿児島第一師範、鹿児島第二師範、鹿児島一中、鹿児島二中、鹿児島商船、佐賀師範、筑紫中

【関東】37(+9)/54:青山学院中、青山師範、府立園芸、暁星中、慶応中、成城高中、府立一商、府立五中、府立ニ中、府立八中、帝都商、東亜商、東京高中、豊島師範、独協中、日大二中、東京高師附中、本郷中、明治学院中、目白中、立正中、早稲田実、浅野総合中、小田原中、神奈川工、神奈川師範、川崎中、鎌倉中、関東学院中、湘南中、横浜二中、横浜三中、聖ジョセフ中、浦和中、粕壁中、川越中、熊谷中、埼玉師範、埼玉商、不動ヶ岡中、千葉師範、佐倉中、茨城師範、水海道中、水戸中、今市中、栃木師範、真岡中、群馬師範、藤岡中、甲府中、韮崎中、山梨師範、甲府商

全体で183校、地域別比は北海道・東北7.7%、関東29.5%、東海・北陸13.7%、関西26.8%、中国・四国12.6%、九州9.8%です。普通中学比が50%を切るのは東海地域だけで、全体で62.8%は普通中学です。

中学校比:115/183=62.8%
師範学校比:32/183=17.5%
中学校+師範学校比:(115+32)/183=80.3%

| | Comments (2) | TrackBack (0)

日本青年運動倶楽部のスポンサー

日本最初のサッカー・リーグ、日本へのFAカップ寄贈、大日本蹴球協会の創立」に記した、1919年第4回マニラにおける極東大会に16名の選手を派遣したのは大阪の日本青年運動倶楽部ですが、その収支が『大日本体育協会史』(大日本体育協会,1936-37)第1巻p.745に記載されています。100円以上の寄付者は以下のとおりです。

500円 男爵住友吉左衛門 山田藤次郎 阪神電気鉄道会社 大阪毎日新聞社 大阪朝日新聞社

300円 阪神急行電鉄会社 朝吹常吉 中村照子 

200円 男爵藤田平太郎 田中虎之輔

150円 堀田子爵

100円 国光製薬会社 平岡虎之助 伊藤雄一

収入総計 5,177円82銭

支出総額 2,422円99銭

差引残高 2,654円83銭

支出は総収の半額以下(500円以上の寄付者のみでまかなえた)で済み、半額以上が残高となっています。寄付者のうち朝吹は慶応出身の三越役員、1917年第3回東京大会開催の主唱者で、必ずしも関西関係者だけではありません。

東京の体協がやらへんのやったら「ワシらがやったる」という関西人の気概が感じられますが、阪神、阪急、大毎、大朝の寄付の背景には「算盤勘定」もあったはずです。現在の高校野球や高校ラグビーにも続いている関西における「新聞社+私鉄」という関係が日本青年運動倶楽部にも見て取れます。

阪神、阪急、大毎、大朝にとって極東大会大阪開催は喉から手が出るほどのものだったはずで、1921年に次回1923年極東大会を大阪開催とする条件で日本青年運動倶楽部を体協に統合してみせた岸清一は、まさに「将を射んとすれば馬を射よ」を実行したといえるでしょう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

満州国と大日本蹴球協会

以前「満州国の国技は“蹴球”-読売新聞記事より」に収録した読売新聞記事に対応する記事が『蹴球 第6号 1933年10月』p.4 4/18コマ目にありました。

満州国の問題

 我が友邦満州国は建国一年、体育方面にもかなり進展をこころみてゐる。我協会も同国の蹴球発展には之に積極的援助を惜まざる所であったが先頃満州国文教部茂木善作氏、久保田定二氏、趙泰福氏、黒田善八、奥勝久、巴楚齢氏来朝ありたるに付大阪に於て関西協会の神田副会長、田辺主事、前田、斎藤、永野、奥野、長井各理事永井委員面談し種々会談をとげた。当日の会談の概要は左の通りである。

一、 満州国体育協会は昨年五月創立して日尚浅きも一般人士愛好の点よりして足球(蹴球)を国技とする事に決議し「日満提契は蹴球より」の実現を期す。

ニ、 両国チームの来訪は互に必ず大日本蹴球協会及満州国体育協会の手を通ずる事。
 右通知なきチームの来訪は両協会の認可なきものと認む。

三、 チーム交換を希望す。
 日本チームの満州国訪問は技術指導の為之を歓迎す。
 満州国チームの招待を希望す。
 来朝の時期は十月十一月頃が好都合。

四、 F・I・F・Aに加盟希望に付日本の紹介尽力を希望す。

五、 全国中等学校蹴球大会優勝者と全満州国中等学校優勝者との試合を希望す。

六、 満州国へ技術指導者の派遣を熱望す。

七、 満州国足球規則は大日本蹴球協会制定のものを基礎とし競技規則の規一をはかる事。”

1933年8月11日付け読売新聞記事と微妙に異なります。

満州国で“一般人士愛好の点よりして足球(蹴球)を国技とする事に決議し「日満提契は蹴球より」の実現を期す”ことに便乗して、これ以後大日本蹴球協会は国策蹴球の道を歩むことになります。 

| | Comments (1) | TrackBack (0)

第1回全日本選手権参加チーム

サッカーミュージアムHPにアップされた大日本蹴球協会『会報』第1号に1921年11月に開催された第1回全日本選手権参加チームの記録があります(p.12-25 9/35-15/35コマ目)。参加チームは以下のとおりです(カッコ内は代表者・主将 その右は目立つ選手)。

★ 東部予選会

1. 東京帝国大学(野津謙) 新田純興 
2. 慶應アソシエーションフットボール倶楽部(範多龍平) 深山静雄 千野正人
3. 東京高等師範学校蹴球部(森悌次郎) 後藤基胤 大新田勝海
4. 水戸高等学校(中島道雄)
5. 早稲田高等学院(伊藤友吉) 鈴木重義 朝鮮姓らしき人物3名あり
6. 豊島師範学校(堀井佐男)
7. 青山師範学校(島崎治)
8. 埼玉県師範学校(斎藤)
9. 東京高師附属中学校(川上俊雄) 本田長康 春山康雄(ママ) 
10. 横浜第二中学校(浅田音吉) 
11. 佐倉中学校(山口留)
12. 豊山中学校(黒木敏義) 朝鮮・中国姓らしき人物3名あり
13. 東京蹴球団(山田午郎) 露木松雄 守屋英文 井染道夫
14. アストラ倶楽部(渋川敬雄)
15. ドラゴン倶楽部(長岡)
16. 台湾青年体育倶楽部蹴球部(張明色) 全員中国姓
17. 東京商科大学蹴球団
18. 独逸協会中学校
19. 明治学院中学部
20. タイガース倶楽部 

★ 中部予選会

1. 名古屋蹴球団(松田静) 下出重喜
2. 愛知県第一師範学校(平野九一郎)
3. 明倫中学校(青山幸一郎)

★ 近畿及び四国地方(予選なし)

御影師範

★ 西部(中国・九州)地方(予選なし)

山口高等学校

東部予選会に出場しているタイガース倶楽部というのは原島好文「ソッカー十年の思ひ出」に登場する「タイガー倶楽部」のことだと考えられますが、日本最初のサッカーリーグに参加していたという「朝鮮青年団」と同一チームなのかどうか。現韓国代表のエンブレムが「虎」であることからみても、「朝鮮青年団」である可能性が強いのですが、確認できていません。

タイガース倶楽部は東部予選会1回戦で台湾青年体育倶楽部蹴球部を4-0で一蹴し、2回戦で準優勝した青山師範に0-1と惜敗した、かなりの強豪チームだったようです。

同じ『会報』臨時号1929年10月p.32-53 18/45-28/45コマ目に記載された「大日本蹴球協会加盟団体」と比較すると、サッカーは1920年代に数的にも空間的にも飛躍的に普及したことがわかります。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

« April 2008 | Main | June 2008 »