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田辺宗英

昨日出席した会合で、読売クラブ(現東京ベルディ1969)を創立した当時の読売の総師、正力松太郎は戦前からプロ野球興行を通して交流のあった田辺宗英からサッカーの知識を得たのではないか、という推論が示されました。平凡社『大人名事典 第9巻』(1955)収載の「田辺宗英」の項は以下のとおり。

“財界人。後楽園スタヂアム社長。明治十四年山梨県に生まれた。早大卒。三引商事専務、帝国拳闘協会長等を経て、昭和十一年後楽園スタヂアムを創立、専務から社長になり、傍ら日本スケート、新東宝、江東楽天地の役員を兼ねている。盟友正力松太郎は「財界生き残りの侠客」と評し、二十七年の新東宝の経営権を巡っての堀久作、山本為三郎との闘争は有名。異母兄に小林一三がある。東京都品川区五反田六の一九一(大崎一六〇三)。”

上記リンク先の野球殿堂の略歴では立教中→早稲田であり、生年から考えて、山梨県出身ではありますが韮崎のサッカーの影響を受けたとは考えられません。韮崎中に蹴球部ができるのは昭和に入ってからです。

『イレブン』誌1979年11月号に掲載された「幻のプロサッカー秘話」によれば、正力は1949年にできた後楽園競輪場でのプロサッカーの開催・トトカルチョを企画していたようです。トトカルチョについては、1960年開催のローマ五輪が経費をトトカルチョで賄ったことで注目され、1959年に東京オリンピック準備委員会から『トトカルチョ』が刊行されています。

『トトカルチョ』刊行以前にプロサッカーとトトカルチョの組合せを思いついたのが田辺だとしたら、相当の「先覚者」だったことになります。

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