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中村覚之助氏の追悼文と弔慰金の報告

東京高等師範学校で日本人として最初にサッカー(アソシエーション・フットボール)を始め、最初のサッカー専門書『アッソシエーションフットボール』を著した中村覚之助に関する文献を見つけました。

伊藤宣将「中村覚之助君を懐ふ(下)」『教育』(茗溪會事務所) no.84 1907.2 p.22(610)

「故中村覚之助君弔慰金につき報告」『教育』(茗溪會事務所) no.88 1907.6 p.50(826)

「中村覚之助君を懐ふ(上)」は『教育』no.78に掲載されているようですが、同号を所蔵しているのは筑波大図書館のみのようです。

教育
-- 茗溪會事務所. -- 1號 (明33.3.3)-94號 (明40.12.15) ; 299號 (明41.1.1)-831 (1959.7)

筑大  1-81,83-94;299-368,370-550,552-606,828-831<1900-1907;1908-1959>

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『トム・ブラウンの学校生活』の日本における受容

トーマス・ヒューズ(Thomas Hughes)のラグビー校における自伝的学園小説『トム・ブラウンの学校生活(Tom Brown's school days)』の日本における戦前の出版は以下のとおりです(カッコ内の数字はWebcatの所蔵館数)。

1) 『Tom Brown's school days at Rugby. : Adapted to Japanese students』 Kobunsha, 1899. (7)

2) 『英国学校生活 : 一名・英国学生気質』岡本鶴松(九皐),村山具政訳 九皐社 1903-4. (5)
footballの訳語:フートボール 「フートボール略解」(p.131-133)あり。「アッソシエーション」式と「ラグビー」式の2種類があってここでは後者が該当すると説明あり。

3) 『トムブラウンラグビー在校記』橘永生訳 北文館 1912. (5)
footballの訳語:フットボール

4) 『英国の青年』橘永生訳 敬文堂書店 1913. (2)
footballの訳語:フットボール

5) 『Tom Brown's school days at Rugby』 Kobunsha, 1922. (The Kobunsha series for higher schools ; shelf 2, no. 4) (2)

6) 『英國青年物語』橘永生訳述 早稲田図書出版協会, 1922. (1)

7) 『トム・ブラウンの学校時代』時野谷貞訳 文教書院 1925. (25+31=56)
footballの訳語:蹴球

英語で刊行されたKobunsha版は、「Kobunsha series for higher schools」とあるように、旧制高校生向けの英文読本だったようです。戦前の邦訳では、1925年刊の文教書院版が最も普及していたようです。3)~7)は大正時代刊です。昭和戦前期に新刊書として刊行されたものはないようです(重版・刷はあったかもしれませんが)。

一方、原書の方は、1857年刊の初版から所蔵館がありますが、圧倒的に所蔵館数が多いのは、1906年刊のJ.M. Dent & Sons, E.P. Dutton版で、3+29+30=62館が所蔵しています。

戦前の日本における『トム・ブラウンの学校生活』の受容のピークは日露戦争後から大正時代にかけてで、広島一中、神戸一中、刈谷中、志太中、湘南中、東京府立五中などがサッカーを校技として導入した時期と一致しています。大正時代の中等教育関係者にとって、教育モデルとしてのパブリック・スクールとその不可欠な要素としてのフットボールは常識化していたのではないでしょうか。

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伊藤長七東京府立五中(現・小石川高校)初代校長のページ

が小石川高校同窓会紫友会HPにアップされています。→伊藤長七展HP版

伊藤長七は同校開校にあたってサッカーを校技に採用し、野球部を作らせませんでした(同校には現在も硬式野球部がない)。同校からは岡野俊一郎JFA会長や竹内悌三ベルリン五輪代表主将(いずれも日本サッカー殿堂入り)が輩出しています。伊藤は東京高師卒、明治34(1901)年入学、明治38(1905)年卒業で、在学中に高師で日本最初のサッカー部が誕生し、最初の専門書『アッソシエーションフットボール』(1903)が刊行され、日本人最初の正式サッカー試合高師対YCAC戦(1904)が行われています。また、伊藤は英語専攻だったので、高師の英語講師で蹴球部の指導もしていたWalter Augustus De Havilland氏とも交流があったはずで、高師在学時にサッカーを知ったと思われます。「草創期の東京高等師範学校のサッカー 対YCAC戦と2冊の専門書」に書いた年表は以下のとおりです。

1902(明治35)年 サッカーを開始
1903(明治36)年 『アッソシエーションフットボール』刊行
1904(明治37)年 最初の対YCAC戦 中村覚之助卒業
1905(明治38)年 伊藤長七東京府立五中(現・小石川高)初代校長卒業
1906(明治39)年 堀桑吉卒業(愛知第一師範就職 愛知・岐阜両県の中等サッカー普及に貢献)
1908(明治41)年 対YCAC戦初勝利 『フットボール』刊行 細木志朗卒業(埼玉師範就職 埼玉県サッカーの祖) 新帯国太郎本科卒業(研究科在籍を経て滋賀師範就職)
1909(明治42)年 内野台嶺卒業(豊島師範就職 同校にサッカーを伝える) 玉井幸助卒業(御影師範就職 同校にサッカーを伝える) 落合秀保卒業(滋賀師範就職 滋賀県サッカーの祖) 錦織兵三郎志太中(現・藤枝東高)初代校長卒業
1911(明治44)年 松本寛次卒業(広島一中(現・国泰寺高)就職 同校にサッカーを伝える)

『アッソシエーションフットボール』の著者中村覚之助は1年先輩です。同じく大正時代に開校した志太中(現・藤枝東高)初代校長で、やはりサッカーを校技に採用し、野球部を作らせなかった錦織兵三郎は伊藤の4年後輩にあたります。

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