石川二郎「錦織先生とサッカー」『藤枝東高五十年史』
先週末刈谷と藤枝に行ってきました。藤枝東の校史に以下の文献がありました。
「錦織先生とサッカー」(志太中5回 石川二郎) 『藤枝東高五十年史』(静岡県立藤枝東高等学校/編 藤枝東高等学校創立50周年記念事業実行委員会 1974) p.109
“志太中の思い出は、やはり錦織先生と蹴球から始まる。"新興の意気""精力集中"を説かれたお顔や、一緒に作業をされたお姿がなつかしく思い出される。全校生徒の毎週の反省禄に眼を通され感想を記入されたことは、大変な御努力ではなかったかと思う。
先生は私たちが3年生の9月に伊豆の中学に突然御転任になったが、その理由が蹴球だけやって野球をしなかったことに対する地元有力者の反対によるものだということで、僕らは憤慨した。次の石井校長の野球のすすめはおだやかだったが、全生徒によって拒まれた。
5年生の時のサッカーの主将は松永行君で、全国大会では決勝までいって惜敗した。担任の稲葉先生が教室で「松永がかわいそうだ」と言われてハンカチで涙を抑えられた光景は、今も記憶に鮮やかである。松永君は東京高師に進学、昭和11年のベルリンオリンピックに出場し貴重な得点をあげ名選手の誉を高めたが、惜しくも大東亜戦争の花と散った。
(日本学校給食会常務理事)”
“先生は私たちが3年生の9月に伊豆の中学に突然御転任になったが、その理由が蹴球だけやって野球をしなかったことに対する地元有力者の反対によるものだということで、僕らは憤慨した。”というのは、『静岡県教育史』の“また当時野球熱がすざまじく町議員の野球部創設働きかけをしりぞけたため校長は転勤されたといわれている。”という記述を裏付けています。
新校長の野球のすすめを全生徒が拒否するほど、サッカーが校技として浸透していた、という記述も面白いですね。さすが藤枝東!
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