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東京高等師範学校(東京文理大学)主催全国中等学校蹴球大会はなぜ消滅したか

東京高等師範学校(東京文理大学)主催全国中等学校蹴球大会は1924年~1932年に9回開催された全国規模の中等学校サッカー大会でした。「全国」といっても東日本の学校がほとんどですが、近畿や東海地区の学校も参加しています。大阪毎日新聞社主催全国中等学校全国中等学校蹴球大会に次ぐ規模の大会でした。特徴は、

1) 全国中等学校蹴球大会が地区大会を経た選手権であるのに対し、いわゆる「選手権」ではなく、オープン参加の大会である。

2) 全国中等学校蹴球大会が中学校・師範学校を区分しなかったのに対し、第1部:中学校、第2部:師範学校、と中学校と師範学校に区分していた。

優勝・準優勝校は以下の通りです。

第1回 1924年11月 1部 暁星中3-0豊山中 2部 豊島師範3-2青山師範
第2回 1925年9月 1部 東京高師附中3-1暁星中 2部 豊島師範0-0栃木師範(CK数で豊島師範勝ち)
第3回 1926年9月 1部 東京高師附中6-0成城中 2部 ?
第4回 1927年9月 1部 東京高師附中2-0東京府立五中 2部 青山師範6-2栃木師範
第5回 1928年9月 1部 東京高師附中3-2東京府立五中 2部 豊島師範3-2栃木師範
第6回 1929年9月 1部 東京高師附中2-0東京府立五中 2部 豊島師範3-2静岡師範
第7回 1930年9月 1部 東京高師附中3-1湘南中 2部 青山師範8-1鎌倉師範
第8回 1931年8月 1部 志太中2-1東京高師附中 2部 青山師範6-1鎌倉師範
第9回 1932年8月 1部 東京高師附中5-3志太中 2部 京都師範1-0埼玉師範

この大会の消滅は1932年の「野球統制令」と関係があると考えられます。

“二、野球試合は左記により開催せらるること。

イ、全国的優勝大会及び全国的選抜大会はそれぞれ年一回全国中等学校野球協会の公認の下に開催し得ること。但し明治神宮体育大会に関するものはこの回数に含まず。

ロ、地方大会(「府県対抗試合」又は参加学校が三府県以上にわたる試合をいふ)は関係府県の体育団体(第一項記載の事項参照)共同主催の下に同一地方に関し年一回に限り公認を受けて開催し得ること。” 

野球統制令は野球を対象とするものですが、当然他の競技にも準用されたと考えられます。東京高等師範学校(東京文理大学)主催全国中等学校蹴球大会は「全国的選抜大会」ではないので、「全国的優勝大会」だとすれば、大阪毎日新聞社主催全国中等学校全国中等学校蹴球大会と両立しえなくなります。

また、クラブチームである東京蹴球団主催東京朝日新聞後援関東蹴球大会(1918年~1933年 大毎大会と同じ年に始まった)も15回をもって終了し、関東蹴球協会主催東京朝日新聞後援関東中等学校蹴球選手権大会が1933年12月から始まります。この大会は関東1府6県+山梨県の地区大会を経た代表8校による「選手権大会」でした。

第1回 1933年12月 豊島師範2-0埼玉師範(出場校:豊島師範、千葉師範、埼玉師範、神奈川師範、茨城師範、栃木師範、藤岡中、山梨師範)
第2回 1934年12月 韮崎中4-1府立五中(出場校:府立五中、神奈川師範、千葉師範、埼玉師範、水戸中、栃木師範、藤岡中、韮崎中)
第3回 1935年12月 豊島師範4-2埼玉師範(出場校:湘南中、千葉師範、真岡中、豊島師範、韮崎中、水戸中、埼玉師範、藤岡中)
第4回 1936年12月 豊島師範2-1韮崎中(出場校:豊島師範、埼玉師範、千葉師範、茨城師範、湘南中、韮崎中、藤岡中、宇都宮中)
第5回 1937年12月 青山師範2-1埼玉師範(出場校:埼玉師範、千葉師範、藤岡中,湘南中、韮崎中、茨城師範、青山師範、烏山中)
第6回 1938年12月 青山師範4-2埼玉師範(出場校:青山師範、千葉師範、湘南中、埼玉師範、水戸中、藤岡中、韮崎中、宇都宮中)
第7回 1939年12月 豊島師範1-0湘南中(出場校:湘南中、水戸商、宇都宮中、浦和中、藤岡中、千葉師範、豊島師範、韮崎中)
第8回 1940年12月 湘南中2-1明倫中(出場校:豊島師範、湘南中、水戸商、烏山中、甲府商、藤岡中、明倫中、浦和中 藤岡中は出場辞退)
第9回 1941年12月 湘南中2-1青山師範(出場14校は推薦による 東京府立九中、安房中、茨城工、浦和中、暁星中、湘南中、埼玉中、東京高尋常科、宇都宮中、青山師範、韮崎中、千葉師範、豊島師範、小田原中)

ややこしいのは同じ関東蹴球協会主催関東中等学校蹴球大会が1934年8月から始まっていることです。オープン参加制です。

第1回 1934年8月 青山師範3-1韮崎中
第2回 1935年8月 韮崎中3-0埼玉師範

第3回以降新聞記事が見当たりませんが、大毎大会が1935年から8月開催になり、その予選とバッティングするので、中止になったのかもしれません。『附属中学サッカーのあゆみ』(東京高等師範学校附属中学蹴球部六十周年誌編纂委員会 1984)はこの大会を東京蹴球団主催の大会の続きと誤解していますが、主催者と開催時期が異なるだけで、関東地方のオープン大会という実質は同じなので、誤解も無理はありません。

新大会が両方とも関東蹴球協会主催になっているところも、野球統制令の影響ではないでしょうか。

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