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我が国最初の日本サッカー史記述 1908(明治41)年刊行の『フットボール』の「我が国のフットボール」

我が国最初の日本サッカー史記述は我が国2番目のサッカー専門書、東京高等師範学校々友会蹴球部編『フットボール』(大日本図書, 1908)の第一編 第二節 フットボールの歴史 (三)我が国のフットボール(p.11-15)であろう。我が国最初のサッカー専門書、中村覚之助著『アッソシエーションフットボール』(鍾美堂, 1903)は日本人最初の正式サッカー試合、東京高等師範学校対YCAC戦(1904年)の前年に刊行されており、日本サッカー史に関する記述はない。


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(三)我が国のフットボール

 抑も我が国で初めてこのフットボールをやったのは、明治十一二年の頃である。当時恰も体操伝習所といふのが出来て居て外国人を雇うてしきりに体操を習って居た。その時にその先生が初めて、欧米ではフットボールといって、大きなボールで以てやる遊戯がある。極めて面白い遊戯で、あちらでは実に盛なもので、そのやり方はしかじかと話されたところ、それは面白からう、早速教へて貰ひたい、といふので、それではと、茲に始めて日本に於てフットボールといふものが行はれるやうになったのである。

 それでは日本には、日本のフットボールといふものはないのかといふに、日本独特のフットボールがある。古い記録をしらべて見るに、皇極天皇の頃に始まったらしく、誰でも知ってゐる彼の中大兄皇子が蹴鞠をして遊んで居られた時、御靴がぬげて飛んだのを、藤原鎌足公が側から取って捧げたといふ話がある。是より以前には、ちっとも蹴鞠の事が見えない。或人は支那から伝はったのだと言って居るが、この時代の有様から考へて見るに、或はさうかも知れぬ。支那には是よりずっと以前に、すでにあった事は歴史に明らかであるが、しかしそれが我が国に伝ったのであるかどうかは記録の依る可きものがないから分らぬ。此の蹴鞠は英語でいへばフットボールである。勿論法式などは全くちがふ。ボールは矢張り革で作ってあって、今も東京の博物館に行けば実物を見る事が出来る。庭の四隅に柳、松、楓、桜を植えて、その下に並んで互に蹴合ふといふ、中々優美なやり方であったらしい。古い絵図などを見ても、束帯や直衣のままで、おもしろさうにやってゐるところが画いてある。半ズボンでシャツ一枚でやる今のフットボールとは全く趣が違って、余程優美なものであった様に思はれる。足利時代から徳川時代までも、稀に行はれたと見えて、飛鳥井は蹴鞠の家として伝はって居る。

 さて明治十一二年頃に体操伝習所でやってゐたフットボールは、我が国各地方に弘まったやうであるけれども、その法式は種々様々である。思ふに伝へ伝へて行く内に、誤って伝へ、或は自分勝手に法式をたてたものもあらう。これまで各地で行はれて居るのを見ると、実に千態万状であるが、多くは只徒にボールばかりあって、使ひ途を知らず、一つのボール追うて、数百人が押し合ふやうな乱暴な事をしてゐる。

 数年前東京高等師範学校で、更に正式にフットボールを始め、屡横浜の外人とマッチを行ひ、慶應義塾でも亦ラグビー式フットボールを始めて、横浜外人とのマッチを試みた。何れもまだ大に発展の余地がある。一昨年頃から東京府師範学校でも亦フットボールを始め、昨年の十一月に高等師範学校とマッチをした。惟ふにこれは我が国に於ける日本人同士のフットボール・マッチの始めであらう。続いて高等師範と慈恵医院医学専門学校とのマッチがあった。東京に於てこのやうに一時に勃興しつつあるのみならず、各地方に於ても亦頻にフットボールの声が高くなって、愛知県、山形県、福島県、茨城県、埼玉県等の各師範学校では、已に盛にやって居る。その他中学等でやってゐる所もあるし、又始めようとしてゐる所も沢山あるやうである。遠からずして各地に勃興するであらう。殊に今年二月の高等師範と横浜外人とのマッチに、高等師範が外人を破ってより、急にフットボールの声が高くなり、大いに勃興する形勢を現はして来た。

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