東京高等師範学校1911(明治44)年卒業生の1921(大正10)年現在の就職先
☆ はじめに
東京高等師範学校の卒業生で教職として就職している中等学校は、師範学校、女子師範学校、中学校、高等女学校がほとんどで、実業学校に就職しているものはほとんどいないために、サッカーが実業学校に普及しなかった可能性がある。そこで、『東京高等師範学校一覧 大正10年度』掲載の10年前の卒業生、すなわち1911(明治44)年卒業生の1921(大正10)年現在の就職先を調査してみた。
☆ 東京高等師範学校1911(明治44)年卒業生の1921(大正10)年現在の就職先
研究科(二箇年) 卒業生7名:高等教育機関1名、中学校2名、小学校1名、官僚1名、外国留学1名、未記載1名
研究科 卒業生17名:高等教育機関2名、師範学校1名、中学校1名、高等女学校5名、官僚1名、死亡3名、未記載4名
本科国語漢文部 卒業生15名:師範学校5名、女子師範学校2名、中学校3名、高等女学校3名、高師在学1名、未記載1名
本科英語部 卒業生25名:高等教育機関2名、師範学校1名、女子師範学校2名、中学校10名、高等女学校1名、帝大学生2名、小学校1名、官僚1名、民間4名、未記載1名
本科地理歴史部 卒業生15名:高等教育機関1名、師範学校3名、女子師範学校1名、中学校1名、高等女学校4名、実業女学校1名、官僚1名、民間1名、死亡1名、未記載1名
本科数物化学部 卒業生34名:師範学校5名、女子師範学校2名、中学校14名、高等女学校5名、実業学校1名、官僚1名、民間2名(理研含む)、死亡4名
本科博物学部 卒業生12名:師範学校1名、中学校3名、高等女学校3名、小学校1名、官僚1名、民間1名、外国留学1名、死亡1名
文科兼修体操専修科 卒業生16名:高等教育機関1名、師範学校3名、中学校(高等普通学校含む)4名、高等女学校2名、実業学校2名、小学校1名、外国留学1名、死亡1名、未記載1名
数学専修科 卒業生19名:高等教育機関3名、師範学校5名、中学校6名、高等女学校1名、実業学校1名、外国留学1名、死亡1名、未記載1名
図画手工専修科 卒業生21名:師範学校4名、女子師範学校1名、中学校(高等普通学校含む)2名、高等女学校(女子学習院教授、東京女高師教諭含む)4名、実業学校(高等実業補習学校)1名、小学校2名、官僚2名、民間2名、死亡1名、未記載2名
☆ 東京高等師範学校1911(明治44)年卒業生の1921(大正10)年現在の就職先中の中等学校校種比
卒業生合計181名。高等教育機関在職10名、小学校在職6名、高等教育機関学生3名、外国留学中4名、官僚(視学官)8名、民間10名、死亡12名、未記載12名を除く、中等学校在職数は116名であった。その内訳は以下のとおり。
校種 人数 比率
師範学校 28名 24.1%
女子師範学校 8名 6.9%
中学校 46名 39.7%
高等女学校 28名 24.1%
実業学校 6名 5.2%
合計 116名 100.0%
東京高等師範学校卒業後10年で、中等学校に在職しているもののうち、約95%は師範学校、女子師範学校、中学校、高等女学校に在職しており、実業学校に在職しているものは 5%にすぎなかった。東京高等師範学校卒業生は何らかの理由で実業学校への就職を忌避していたようであり、そのことがサッカーが実業学校に普及しなかった理由のひとつでありえよう。