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ウォータールーの戦いはイートンの運動場で勝った

サッカーやラグビーが学校に普及し始めた明治・大正時代に、ウェリントン公の言葉として「ウォータールーの戦いはイートンの運動場で勝った」という意味の引用句がしばしば使用されている。我が国最初のラグビー専門書、慶応義塾蹴球部編『ラグビ-式フットボ-ル』(博文館,1909)の序文は

伝へ云ふ、ウエリントン公、一日イートン校に遊び、学生蹴球の試合を観て、「是ある哉、ウォータールーの戦勝の偶然にあらざることや」と叫べりと。

で始まっている。この引用句は相当普及していたようで、上記文献の約20年前に刊行された高橋義雄著『英国風俗鏡』(大倉保五郎,1890)の「蹴鞠」の項も、

ウェリントン公云へるとあり。ウヲータールーの戦勝はエトンの野に在りと。

が冒頭文である。

 サッカー関係書では、チョー・ディン著『How to play association football』(平井武,1923)中の「総論」で以下のように記している。

“英国に於ての諺にもウォータールーの戦の勝利の原因はイートン大学の校庭に養はれたり、とあるが如し。此の意味はイートン大学のフットボーラーズがウォータルー戦に士官として戦場に臨み、フットボールフヰールドに於て養はれたる規律が戦場に於ても行はれ、其の結果、英国は此の大戦に勝利を得、今日に至る迄、諺として語り伝へらるるなり。”(p.4-5 9/59コマ目)

 この引用句は英語では“The Battle of Waterloo was won on the playing fields of Eton.”で、『動物農場』、『1984年』の著者ジョージ・オーウェルも「England your England」というエッセイ(『The lion and the unicorn』 London, Secker & Warburg, 1941 所収)で以下のように引用している。

“Probably the battle of Waterloo was won on the playing-fields of Eton, but the opening battles of all subsequent wars have been lost there. One of the dominant facts in English life during the past three-quarters of a century has been the decay of ability in the ruling class.” (p.35)

自身もイートン出身のオーウェルは、読者がウェリントン公の言葉を知っていることを前提にして、支配階級の代名詞としてのイートンとその劣化をこの引用句で皮肉っている。

 日英を問わずこれだけ人口に膾炙した引用句なら出典があるはず、と寺崎昌男編『教育名言辞典』(東京書籍,1999)を調べてみると、

“「ウォーターローの戦いはイートンの運動場で勝った」
<出典>イギリス、ウェリントン公アーサー・ウェルズリー(Arthur Wellesley, 1st Duke of Wellington 一七六九-一八五二)が言ったと伝えられる言葉。
<解説>一八二五年頃、ウェリントン公が母校のイートン校でクリケットを観戦中に、「ウォーターローの戦いはここで勝った」と口にしたと言われる。発言内容は、口伝えに伝えられているうちに、「ここで」が「イートンの運動場で」となって流布した。しかし、第二次世界大戦後、第七代目のウェリントン公がこの言葉の出生を否認し、初代がこんなことを口にした証拠はないと述べ、誤伝だと言い切り、さらに、証拠があったら示して欲しいと述べたので、新たな話題となり、出典自体が問題になっている。・・
(中略)
 流布されていくうちに、重点は少しずつ変化し、表現も格言風に変わっていった。「クリケット」は、十一人ずつ二組になり、木の球をバットで打ち、三柱門の間を走り、得点を競う競技であるが、チーム対チームがグラウンドで飛び回る「サッカー」に変わったり、「ラグビー」になったりした。もちろんウェリントン公の語り口も、観戦中のつぶやきから、試合後の祝宴におけるスピーチに変わったりした。・・”(p.277-278)

と、ウェリントン公本人の言葉としての信憑性が疑われており、出典は記されていない。しかも観戦したのはフットボールではなくクリケット!

 では「イートン ワーテルロー」でググってみるとWikipedia「イートン・カレッジ」 に、

“ナポレオンを破った著名な軍人ウェリントン公アーサー・ウェルズリーが「ワーテルローの戦いはイートン校の運動場で勝ち取られた」と言った話は有名である。しかしこの格言に疑義を唱える者もいる。ウェルズリーはイートン・カレッジに入学したが、学費不足と不熱心さのため退学している。また、18世紀末、学校に運動場や組織だったスポーツはなかったと言う説もある。また、この格言自体がウェルズリーの死の3年後に初めて記録されているのである。しかしウェルズリーがイートン・カレッジで人気があったのは事実で、彼は晩年何度もイートンを訪れている。”

とあってやはり信憑性が疑われているが、出典は記されていない。

 同じくネット上の岡山中・高のHPには、

“ウェリントンが実際に「ウォータールーの戦いはイートン校の運動場で勝ち取られた」と言ったということは、ありそうもない話だからであります。1855年にフランスの歴史家でもあり政治家でもあるシャルル・モンタランベールが、「イギリスの政治的未来について」という論文の中で、ウェリントンに言及した時には、ウェリントンは3年前に死亡していたのであります。”

とあって、どうやら出典はモンタランベール氏の「イギリスの政治的未来について」という著作らしい。 ブリタニカによれば、Charles-forbes-rene, Count De Montalembert(1810-1870)の著作とは、『De L'Avenir politique de l'Angleterre』 (1856; “The Political Future of England”)が相当するようだ(reneの2番目のeにアクサンあり)。

 後は現物を見て引用句の部分を確認することになる。国内で本書を所蔵しているのは、 一橋大学 東京大学、および国会図書館。国会図書館本『De L'Avenir politique de l'Angleterre. 6e ed.』(Paris, Didier, 1860)をあたってみると、

“C'est ici qu'a ete gagnee la bataille de Waterloo.”(p.178)(eteの両方のe、gagneeの最初のeにアクサンあり)

という文章があった。本来は「ウォータールーの戦いはここで勝った」というだけだったのが、『教育名言辞典』にあるように“関係者”が都合よく解釈して変形し、最終的に“蹴球試合を観戦”にまでなってしまったようだ。なお、フランス国立図書館の目録 では、本書の書誌データ(アクサン省略)は、

Type : texte imprime, monographie
Auteur(s) : Montalembert, Charles Forbes (1810-1870 ; comte de)
Titre(s) : L'avenir politique de l'Angleterre [Texte imprime]
Publication : Bruxelles : Libr. intern. , 1856
Description materielle : In 12

で、初版は1856年に出たようである。英国図書館の目録では同年に英訳が出ており、書誌データは、

System number:002530780
Author - personal:MONTALEMBERT, Charles Forbes Rene de, Count.
Title:The Political Future of England. Translated [by H. Barrow?] with an introduction and notes [by the Right Hon. J. W. Croker].
Publisher/year:London, 1856.

英訳で“C'est ici qu'a ete gagnee la bataille de Waterloo.”がどう訳されているか興味深いところだが、国内で英訳を所蔵しているのは京都大学のみ、ということで未確認。和訳はないようである。

 しかし、ウォータールーの敗者フランス人の著作からの引用が、イギリスのみならず日本にまで、それもかなり変形して普及したという事実は、この言葉に人々とりわけ教育関係者やスポーツマンの琴線に触れる部分があったことを示している。

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