« 第1回ウルグアイ大会(1930年) | Main | 第3回フランス大会(1938年) »

第2回イタリア大会(1934年)

W.ベンスマン 「昨年のワールドカップ争奪戦と其の諸選手に就て-FIFA公報」 矢島清次/訳
『蹴球』v.3 no.1 1935.2 p.2-6

冒頭にファシスト式敬礼をしている優勝したイタリア・チームの写真あり。「島田」(晋?)記名の序文がある。

 昨年の五月末から六月初にかけて、伊太利のローマ及び其他の諸都市で、ワールドカップ争奪戦が挙行された。
 参加国十六、決勝にはイタリーとチェツコスロワキアが残り、結局地元のファッシストが優勝した。この大会に就いては本誌創刊号に千野正人氏が詳述されてゐるから詳しくはそれを見て頂くとして、...<中略>
昨年のこの大会は我国の新聞には殆ど掲載されなかったので、本誌は之を出来る丈詳細に報導すべき義務を感じてゐたのであるが、FIFAからのオフィシャルリポートが漸く最近に至って到着したので、ややおそまきの感はあるが此処にお目にかけることにした。...

ベンスマンのレポートは、大会直前5月ハンガリーとチェコに遠征したイングランド(W盃不参加)が2試合とも1対2で敗れたこと、W盃の全試合結果(この大会はトーナメントのみ)を示し、ほとんどの試合が僅差であることから、各国の力が平均化していると最初に指摘している。
次いでスペインのGKザモラを賞賛し、1回戦で勝ったのはすべてヨーロッパのチームであること、オーストリアが意外に不振であったこと、ドイツが予想以上に健闘したことについて述べている。当時の国際情勢を反映した「このカップ戦で最も喜ばしかったかったことは、かなり物騒な空気の中でさへも、独逸とチェッコが極端な迄フェアプレイを示したことであった。」という文章もある。
フランスのディフェンスを賞賛し、決勝については、「オルシイ、グァイタ、シャビイヲ等の驚嘆すべき攻撃は、遂に斯の雄そる怖るべき一組のバックとブラツニカとを打破ったのである。」と述べ、最後にチェコのフェアプレイを賞賛して、「将来フェアプレイを妨げるものに対し、レフェリーは聊かも容赦しないで欲しいと言ふ事である。」と結んでいる。


--------------------------------------------------------------------------------

「世界蹴球争覇」
『アサヒスポーツ』v.12 no.16 1934.7.15 p.23

67年前のベタ記事であり、全文引用しても著作権上の問題はないはずなので、以下に示す。(現代仮名遣いに変更)

五月初旬よりイタリーにおいて挙行されていた世界蹴球選手権大会は参加国十六ヵ国に及び盛大を極めたが、その決勝戦は六月十日ローマ市で行われイタリーが二対一でチェッコスロバキアを破って第一位を占めた。なお第三位はドイツ、第四位はオーストリーと決定した。

当時のW杯のニュースバリューはこの程度のもので、新聞で報道されていたとしても、この記事と同様であったと推察される。


--------------------------------------------------------------------------------

吉武利昭 「サッカーの切手 ワールドカップ 2」
『サッカー・マガジン』v.5 no.1 1970.1 p.126

第二回大会記念 エーゲ海諸島 イタリア植民地
このシリーズはグラビアに写真あり。


--------------------------------------------------------------------------------

鈴木武士 「新ワールドカップ物語 第2回 イタリア時代の始まり」
『サッカー・マガジン』v.8 no.11 1973.10 p.134-138

--------------------------------------------------------------------------------

クラウス・ドイテルモーザー 「史上初のW杯2連覇をなしとげたポッツオ軍団」
『イレブン』v.6 no.7 1976.7 p.102-106

力闘型のチーム編成 二日間にわたる激闘 五輪でも金メダル 力で世界を屈服


--------------------------------------------------------------------------------

「世界杯を彩った名ポスター 第2回イタリア」
『イレブン』v.11 no.8 1981.8 折込頁

--------------------------------------------------------------------------------

賀川浩 「ムッソリーニと1934年ワールドカップ」
『イレブン』v.12 no.4 1982.4 p.149

都市のスタジアム アルゼンチンからの輸入選手 黄金の像と1万リラ


--------------------------------------------------------------------------------

イストバン・ソモス 「レフェリーの回想ワールドカップの想い出」
『サッカー・ジャーナル』 no.2 1982.9 p.34-38

第二回一九三四年イタリア大会-イワン・エクリンド氏(スウェーデン) 開催権はイタリアへ 指名された27歳のエクリンド ローマで、イタリア初優勝
第三回一九三八年フランス大会-ジョルジュ・カプデビーユ氏(フランス) 大戦前夜 地元カプデビーユ氏、指名さる イタリア連勝

|

« 第1回ウルグアイ大会(1930年) | Main | 第3回フランス大会(1938年) »