« 『体育と競技』収載サッカー関係記事索引 | Main | 『イレブン』掲載「川本泰三インタビュー」索引 »

牛木素吉郎氏の『サッカー・マガジン』コラムで辿る日本サッカー史(~1992) 全文リンク付き

約40年間にわたって『サッカー・マガジン』誌にコラムを書き続けてきた牛木素吉郎氏が、同誌に最初にコラムらしきもの(最初はコラム名なし、見開き2頁)を書き始めたのは1967年6月。コラムはW杯、日本代表から少年サッカー、プロ化、JFAの体質問題など、日本サッカーのあらゆる面をとりあげているように思える。そこで、コラムのタイトルを年代順に並べて1960年代後半以降の日本サッカー史を辿ってみたい。

 Viva! Soccer.netのアーカイブスに全文が収録されつつあり(こちらで収録していないものがあったり、逆に先方未収録のものがこちらにあったりする)、全文はそちらにリンク。
--------------------------------------------------------------------------------
1967.6 サッカー戦国時代を占う三つの鍵-日本リーグに戦国時代がやって来た p.22-23

1967.7 日本代表4つの問題点 p.22-23

1967.8 “勝つ気”であげた大金星-おもしろかったパルメイラス戦 p.22-23

1967.9 ムルデカ参加はなぜもめたか?-忙しすぎる日本サッカー p.52-53

1967.10 さあ、いよいよ本番だ!!-オリンピック・アジア地区予選 p.30-31

1967.11 日本サッカーは次の発展期へ-オリンピックアジア予選 p.30-31

1968.5 バンコクの死闘を思い出せ!-「メキシコは精鋭主義で」とJOCはいうが・・・ p.68-69

1968.6 トウキョウワンダラーズをつくろう p.36-37

1968.7 すばらしかったアーセナル p.46-47
“三年ほど前に、サッカー協会のお偉方がアーセナルを日本に呼ぼうとしていたとき、ぼくはこういってクギをさしたことがある。「お年寄りの郷愁で招待チームを決めてもたっては困りますよ。高いギャラを払うのなら同じイギリスでもマンチェスター・ユナイテッドぐらいのチームがいい」
 日本のサッカーがはじめてヨーロッパにいったベルリン・オリンピックのころ、イギリスではアーセナルの黄金時代で、現在協会の常務理事をしておられる年代の方々は“アーセナル”の名前をきくと、心臓のあたりが,じーんとしてくるらしいのだ。”

1968.8 プロ・サッカーはできるか p.46-47

1968.9 メキシコ五輪日本選手団の派遣人数決まる-サッカーは選手18人、役員1人 p.32-33

1968.10 サッカーのプロとアマ-再びプロ・サッカー問題について p.32-33

1968.11 少年サッカーマンのためにあなたの力を貸してください-ぼくの提案 p.40-41

1968.12 『よかったですねぇ!』-これは、銅メダルを日本にもたらした殊勲の長沼監督自身の口から出たことばだ p.108-109

1969.1 国際試合が目白押し-1969年の日本サッカー p.34-35

1969.3 天皇杯をみんなの手に!! p.26-27
“天皇杯を、全チームが参加した形に”

1969.5 残された国立サッカー場と社会体育の夢-急逝された日本体育協会事務局長、塩沢幹氏に哀悼の意を表します p.44-45

1969.6 フェアプレーの精神を生かそう p.58-59

1969.10 スポーツクラブを育てよう p.60-61

1969.11 日本の大学は専任コーチを置け p.78-79

1969.12 日本チームの敗因 p.56-57

1970.1 クラさんの“爆弾提案”に思うこと-篠島さんのお話をきいて p.56-58
(これより「牛木記者のフリーキック」)

1970.2 全国のサッカー・マンの意見を p.36-37

1970.3 中学生のサッカーを盛んにしよう p.46-47

1970.4 ぼくの提案-規律委員会を作ろう p.72-73

1970.5 こんなプレーは断固取締まれ p.48-49

1970.6 スポーツと八百長 p.58-59

1970.7 プロは汚いからさわっちゃダメ!! p.104-105

1970.8 南米のサッカーを知ろう! p.48-49

1970.9 ワールドカップ大作戦を展開しよう p.54-55

1970.10 監督の座にきびしさを! p.74-75

1970.11 日本リーグに警告する p.52-53

1970.12 ことしの10大ニュースは何か? p.60-61

1971.1 天皇杯の方式 長沼前監督の復帰? 小崎選手の移籍 観客とテレビをだます p.60-61

1971.2 二部リーグ制のすすめ 禁煙のすすめ サッカー外交の黒星 ごくろうさんでした p.62-63

1971.3 高校サッカーと背番号 東京へ行ったら 外人軍師 国際審判員の黒星 p.68-69

1971.4 “プレ・さっぽろ” 卓球に学べ 高田一美君の場合 86年を考える p.68-69

1971.5 選手にステーキを食わせる法 小さなボールをけろう サッカーの日中交流のために p.112-113

1971.6 友好第一、試合第二 三菱のサッカー ラーマン杯紛失の怪 p.66-67

1971.7 トットナムはなぜテレビにのらないか? p.118-119

1971.8 清水と甲府と大宮と 大物事務局長がんばれ! ワンタッチ・コントロール p.70-71

1971.9 日本は韓国に勝てるか ゴー・アンド・スピン 統計はウソをつく p.90-91

1971.10 サントスはなぜこなかったか 周恩来とサッカー 中学校と少年団 p.78-79

1971.11 日本サッカーに革命を起こそう p.68-71
日本はなぜ負けたか マレーシアの勝因 日韓戦の教訓 協会首脳部は総退陣せよ 英国人コーチを招け

1971.12 東京12チャンネル、ありがとう ライン・ディフェンス 小さな改革 p.108-109

1972.1 杉山のフリーキック 報道委員会はないのか 審判を審判する p.86-87

1972.2 二部リーグへのすすめ ハーフタイムの注意 入場料はだれのもの? p.74-75

1972.3 高校サッカーの対面交通 審判二題 サッカー狂会の会報 p.78-79

1972.4 北海道にサッカーを 松田コーチの辞任 単独チームの海外遠征 p.76-77

1972.5 天皇杯の新方式 国立サッカー場 p.78-79

1972.6 朝鮮との交流を推進しよう “習志野”の朝鮮訪問に関連して p.62-63

1972.7 ヨーロッパかけ歩き 二ア・ポストに食い込んだら サントスFCと新聞社 p.84-85

1972.9 日本蹴球協会は中国を支持する ムルデカにくじけるな 「おはようございます」 p.90-91

1972.10 上海少年足球隊 サッカー試合と新聞社 杉山隆一君ありがとう p.92-93

1972.11 入替え戦をやめよう 日中サッカーの正常化 ホーム・チーム・ファースト p.92-93

1972.12 協会の改革は進んでいるか 西鉄ライオンズの教訓 田辺五兵衛さんのこと p.72-73

1973.1 朝鮮と中国への旅 バレーボールのアマ違反 日本蹴球協会の法人化 p.86-87

1973.2 “赤い稲妻”がやってくる 再びバレーボール問題について 二つの投書を考える p.80-81

1973.3 赤い稲妻とともに 集中的トレーニング 金銭では計りがたい p.92-93

1973.4 ライセンスは万能ではない ミニ・サッカーに賛成 地方で国際試合をするには p.70-71

1973.5 小学生のサッカー 代表チームの問題点 火中の栗を拾う勇気 p.98-99

1973.6 日本リーグの実業団的感覚 ワールドカップ予選を前に 永井良和君のプレー p.108-109

1973.7 日本代表に望みあり 日本サッカーの再建策 ホーム・アンド・アウェー p.150-151

1973.8 オリンピックとサッカー 理想のサッカーは一つではない 三菱サッカーの中国訪問 p.90-91

1973.9 サッカーマガジン一〇〇号万歳 面白いサッカーをするには 西邑昌一氏からのお手紙 p.100-101

1973.10 新しい会長を迎えよう 日本リーグのレベル 大学とクラブの二重登録 p.94-95

1973.11 サッカーのない日曜はない ポーランド少年サッカー スポーツ・トト p.102-103

1973.12 イングランドの敗れた日 二つのオリンピック会議 ちょっとしたアイデアの広告 p.90-91

1974.1 一九七四年の初夢 国内国際サッカー三賞 大学リーグ解体論 p.116-117

1974.2 杉山隆一君を惜しむ リーグの観客を増やす法 協会の法人化はどうなったか p.96-97

1974.3 日本のヤングは目白押し 引き抜き防止規定を作れ 競技規則のペーパーテスト p.104-105

1974.4 野球とサッカーの違い 山口久太氏に感謝する 日本蹴球協会の解散 p.104-105

1974.5 代表チームにもの申す 「日本サッカー協会」の新役員 『日本サッカーのあゆみ』 p.102-103

1974.6 藤和のユース・チーム オフサイド・ルールの矛盾 テニスのプレーヤーズ制度 p.104-105

1974.7 新しいサッカーの王様は誰か ハーフタイムの少年サッカー オリンピックの参加資格 p.104-105

1974.8 ワールドカップはオープンじゃない パッ、パッ、パパパ・・・ FIFA会長と中国問題 p.190-191

1974.9 若手幹部の意気地なし! 試合は定時に始めよう 小さな町の国際試合 p.154-155

1974.10 日本人のサッカー常識 アメリカ選抜チームの来日 協会の雑誌「サッカー」の廃刊 p.152-153

1974.11 長沼監督は辞任すべきか 日本のサッカーを強くする法 新財団法人の実力 p.188-189

1974.12 バイエルン・ミュンヘンとTV 新聞のサッカー記事の扱い “中学校大会”の弊害 p.96-97

1975.1 ペレのサッカー教室を見て 奇妙なアマチュアリズム 正月の日程に異議あり p.106-107

1975.2 日本リーグの表彰式で ペットマークに異議あり 観客数は増えたけど p.134-135

1975.3 プロとアマの区別の廃止 五輪予選の厄介な問題 国際試合で大いに稼げ p.88-89

1975.4 モントリオール予選の解決策 篠島秀雄副会長の死去 アマチュア選手の移籍金 p.90-91

1975.5 きびしい守備を破るには 体協知事岡野俊一郎の誕生 ペットマークの再募集 p.94-95

1975.6.10 五輪予選東京開催と政治問題 p.72
(この号より月2回刊となりコラム名は「サッカージャーナル」に)

1975.6.25 立派なスタジアムは何のため? p.68

1975.7.10 三菱サッカーはなぜ強い p.74

1975.7.25 大学サッカーの改革案 p.64

1975.8.10 アメリカのプロサッカー p.68

1975.8.25 単独チームの海外遠征 p.70

1975.9.10 ブラジル少年サッカーの来日 p.70

1975.9.25 日本の大人はなぜ弱い? p.66

1975.10.10 “中学校”か“中学生”か p.70

1975.10.25 がんばれ!日本代表 p.80

1975.11.10 クラさん、広島を走らせる p.78

1975.11.25 五輪予選の中止と中国問題 p.74

1975.12.10 ビバ!!ホーム&アウェー p.76

1975.12.25 日本リーグ改革私案 p.72

1976.1.10 おかしな、おかしな話 p.74

1976.1.25 ワールドカップの映画 p.68

1976.2.10 さあモントリオールの年 p.86

1976.3.10 「ペレのサッカー」 p.76

1976.3.25 ソウルでの対イスラエル戦 p.68

1976.4.10 日本の最優秀選手 p.80

1976.4.25 サッカー協会の政変 p.74

1976.5.10 日韓戦の教訓は何か p.88

1976.5.25 外人選手の登録制限 p.76

1976.6.10 ブラック・ユーモア p.80

1976.6.25 揺れ動くアジアの問題 p.68

1976.7.10 ヤンマー勢のボイコット p.76

1976.7.25 代表チームと単独チーム p.66

1976.9.25 モントリオールで感じたこと p.74

1976.10.10 中学生大会の“現実” p.72

1976.10.25 サッカー協会の風通し p.74

1976.11.10 コスモスの中のペレ p.76

1976.11.25 あわや“没収”のトラブル p.74

1976.12.10 安田主審は悪くない p.72

1976.12.25 “日本カップ”の大構想 p.72

1977.1.10 五輪選手は22歳まで? p.70

1977.1.25 スポーツの表彰あれこれ p.70

1977.2.10/25 首都圏の高校選手権 p.88

1977.3.10 高校サッカーの観客動員 p.76

1977.3.25 ペレに会った話 p.74

1977.4.10 審判についての極端な例 p.70

1977.4.25 日本リーグを改革せよ p.68

1977.5.10 あまり知られていないこと p.68

1977.5.25 新しい少年サッカー大会 p.66

1977.6.10 背番号のつけ方について p.40

1977.6.25 スポーツには家風がある p.36

1977.7.10 視野の広さについて p.38

1977.7.25 “釜本引退”の周辺 p.36

1977.8.10 アメリカのプロに学ぼう p.36

1977.8.25 サッカーの新しい用語 p.34

1977.9.10 二人の先輩の逝去 p.36

1977.9.25 少年サッカーの指導者 p.40

1977.10.10 PK戦-是か非か p.40

1977.10.25 コスモス来日の内幕 p.62

1977.11.10 国立競技場の大観衆 p.42

1977.11.25 奥寺選手のプロ入り万歳 p.46

1977.12.10 フランチャイズとは・・・ p.42

1977.12.25 国民体育大会の改革 p.36

1978.1.10 大学サッカーの改革案 p.34

1978.1.25 77年の10大ニュース p.36

1978.2.10/25 高校サッカーの指導者 p.44

1978.3.10 世界ユースの日本開催 p.34

1978.3.25 巨人キャンプとサッカー p.34

1978.4.10 モスクワ目ざす強化合宿 p.34

1978.4.25 ジョージ与那城の世界 p.36

1978.5.10 プロの足音が聞こえる p.36

1978.5.25 大学選抜の海外遠征 p.34

1978.6.10 日本代表に異議あり p.42

1978.6.25 代表チーム監督の座 p.34

1978.7.10 単独チームの強化を p.92

1978.7.25 ワールドユースへの心配 p.72

1978.8.10 ワールドカップの報道サービス p.82

1978.8.25 ワールドカップの審判 p.36

1978.9.10 いろいろな少年チーム p.36

1978.9.25 夏休みの大会で感じたこと p.36

1978.10.10 燃える闘志は内側に p.34

1978.10.25 日本代表チームの風当たり p.40

1978.11.10 落合選手の二百試合出場 p.36

1978.11.25 メノッティ監督と二宮監督 p.34

1978.12.10 プロ野球に学ぶ p.34

1978.12.25 テレビのサッカー解説 p.34

1979.1.10 アジア大会に期待はできない p.36

1979.1.25 私設日本サッカー大賞 p.36

1979.2.10/25 新春に思うこと p.36

1979.3.10 優秀選手の選び方 p.38

1979.3.25 ヤマハの昇格パーティーで p.40

1979.4.10 人材のムダづかい p.42

1979.4.25 サッカー用語の乱れ? p.38

1979.5.10 遠い“自主運営”への道 p.36

1979.5.25 フランチャイズ制のすすめ p.34

1979.6.10 楽しみな“日本リーグ選抜” p.36

1979.6.25 審判割り当ては慎重に p.42

1979.7.10 意外に知らない審判法 p.48

1979.7.25 ジャパン・カップでの失敗 p.34

1979.8.10 サミットとサッカー p.36

1979.8.25 少年サッカーの季節 p.42

1979.9.10 国立競技場への注文 p.36

1979.9.25 ワールドサッカー79 p.52

1979.10.10 メノッティ大いに怒る p.42

1979.10.25 中国問題と五輪予選 p.44

1979.11.10 日本ユースの反省 p.38

1979.11.25 楽しきかな!草サッカー p.48

1979.12.10 名古屋五輪のサッカー会場 p.42

1979.12.25 ことしのサッカー大賞は? p.44

  1980.1.10 高校サッカーの異変 p.46

1980.1.25 びっくりスポーツ賞 p.42

1980.2.10/25 プロサッカーの条件 p.48

1980.3.10 日本リーグの改革 p.48

1980.3.25 サッカー後援会の実態 p.40

1980.4.10 ハイデン君!万歳 オクデラ君!万歳 p.34
(本号よりコラム名が「ビバ!! サッカー!!」に変り、現在に至る)

1980.4.25 オミってだあれ? 世界一の記録用紙 p.36

1980.5.10 高校選抜チーム万歳! 外人コーチの利点 p.40

1980.5.25 技術委員長はどうする 水口洋次君、がんばれ p.40

1980.6.10 すばらしい釜本! 日本リーグのPR p.38

1980.6.25 もう一度、釜本賛歌 渡辺全日本の前途 p.36

1980.7.10 シャイーブ!ソ連 協会外交、また黒星 p.50

1980.7.25 埼玉選抜、ばんざい モスクワ五輪不参加 p.38

1980.8.10 モスクワ五輪展望 少年サッカー変革期 p.38

1980.9.10 モスクワからの便り 名古屋88の準備を p.44

1980.9.25 新聞記者の国際試合 選抜FC批判への反論 p.36

1980.10.10 テレビ中継への注文 NTC計画への疑問 p.34

1980.10.25 絵になる男・釜本 再び“選抜FC”について p.36

1980.11.10 大学サッカーは悪くない 天皇杯改悪の愚挙 p.34

1980.12.10 広島カープ万歳! 故竹腰氏へのおわび p.36

1980.12.25 クライフの秘密 プロ化論議は大歓迎 p.40

1981.1.10 サッカー大賞をオクに リーグ試合の某トラブル p.36

1981.1.25 さっかーいろは歌留多 p.32

1981.2.10/25 代表強化に安全弁を トヨタ・カップの内幕 p.36

1981.3.10 ハートのある選手 “冠もの”の功罪 p.36

1981.3.25 ポーランド戦の収穫 小松君の幻のゴール p.34

1981.4.10 サッカーの原点とは 主審不問は片手落ち? p.40

1981.6 岡島先生、がんばれ! 川淵強化部長への反論 p.80
(本号より再び月刊に)

1981.7 少年サッカーのお祭り “冠もの”が、なぜ悪い? p.78

1981.8 ジャパン・カップの収穫 ジャパン・カップの問題点 p.84

1981.9 サッカーPR時代 高校サッカーの60年 p.82

1981.10 単独少年チーム万歳! あるサッカー人の死 p.76

1981.11 女子サッカーに思う 朝鮮蹴球団の二十年 p.76

1981.12 名古屋五輪の大敗 五輪参加資格の改革 p.80

1982.1 ヨーロッパかけ足旅行 国際スポーツ情報会議 p.92

1982.2 トヨタ・カップ万歳 審判に言い訳なし p.84

1982.3 釜本邦茂君、万歳!! ああ!オフサイド p.76

1982.4 ボカの選手は三流か 自主運営とは何か p.80

1982.5 ハレルヤ戦の成功 ワールドカップを日本で p.82

1982.6 近づくワールドカップ アマチュア的な発言 p.90

1982.7 サッカー列島改造論 サッカーと英和辞典 p.76

1982.8 加藤久君、がんばれ 奥寺康彦君の至言 p.90

1982.9 W杯のベストゲーム ブラジルの良さは・・・ ブラジル“黄金の中盤” p.56-57

1982.10 ビバ!単独チーム NHKに敢闘賞を p.82

1982.11 狙いのあるプレー プロ化論議のすりかえ p.78

1982.12 中国のサッカー 国体開会式を見て p.84

1983.1 水たまりの中での技術 ロシア選抜の好プレー p.102

1983.2 アジア大会で日本健闘 森孝慈監督に技能賞を 殊勲賞は該当者なし 大賞は高体連サッカー部 p.78-79

1983.3 高校サッカーとW杯 「カン」と「独断」 p.84

1983.4 釜本選手の強烈な一発 外人選手の登録制限 p.86

1983.5 日韓サッカー私見 最優秀選手への異見 p.84

1983.6 プロ化への二つの道 クラ-マーさん招待案 川勝選手移籍の真相 p.92-93

1983.7 プロ化は、いつから ヤマハ好調の理由は 世界卓球の運営ぶり p.90-91

1983.8 ジャパン・カップを見て “尾崎問題”の背景 尾崎問題とロス対策 日本でW杯をやれるか p.86-87

1983.9 尾崎の年俸は一千万円? 尾崎問題の雑音 海外移籍規定は不要 p.86-87

1983.10 ビバ!高槻松原 チーム編成の不公平 五輪予選は油断大敵 p.88-89

1983.11 大量ゴールの評価 バルコムとの再開 野津謙さんの夢 p.88-89

1983.12 中国の全運会を見て 日本代表にがっくり サッカーの縁で p.88-89

1984.1 外からの風を入れよう 読売クラブの快走 サッカーのミニコミ p.104-105

1984.2 クーバー方式の指導法 パーソナリティーとは プロサッカーへ前進 p.86-87

1984.3 帝京の勝因は? 五丁森君に敢闘賞を GK退場への論評 p.88-89

1984.4 静岡を表彰したいが・・・ 未来派の監督たち 釜本選手の引退試合を p.88-89

1984.5 長沼体制の功績 クーバーさんの再来日 ロス予選への期待 p.88-89

1984.6 これは第三の革命だ フェイントを教える キックとトラップ p.90-91

1984.7 森孝慈監督の進退 グーテンドルフの意見 単独チームを重視せよ p.88-89

1984.8 「オザキはタダかね?」 16チーム案に異議 日本リーグは面白い p.88-89

1984.9 ロス五輪のサッカー 五輪のオープン化 奥寺と尾崎の場合 p.92-93

1984.11 観客数で金メダル 加藤久君の感想 五輪はプロ化した p.88-89

1984.12 下村魔術の復活 人材の活用法 出場停止の不合理 p.88-89

1985.1 プロはなぜできないか ある町の大きな間違い 読売クと古河のトラブル p.110-111

1985.2 代表強化は不振だが 敢闘日産、技能杉山隆一 読売クラブに“中賞”を p.92-93

1985.3 島原商、バンザーイ 帝京の斉藤君に敢闘賞 PK戦功罪あれこれ p.92-93

1985.4 アマチュアは困る 余計な口をきくな 微妙なオフサイド p.94-95

1985.5 日本代表、楽観は禁物 神戸ユニバーをどうする クーバー方式のビデオ p.94-95

1985.6 日本の雨が味方した キリンカップの怪 ジャパンカップの怪 p.94-95

1985.7 森ファミリーの成功 W杯至上主義に警告 東アジアの大会を開け p.94-95

1985.8 ライバル意識と賞金と グーテンドルフの策略 徐才先生にきいた話 p.92-93

1985.9 奥寺をなぜ使えないか やめるのは簡単だが・・・ グーテンドルフの怒り p.94-95

1985.10 大物少年がんばる 選抜FCの問題点 異色ストライカー p.94-95

1985.11 ユニバー代表の健闘 山口監督への注文 ユニバーって何さ p.94-95

1985.12 観客はなぜ増えたか 試合内容の向上ぶり 名門日立がんばれ p.94-95

1986.1 森孝慈監督の賭け 秘密兵器の使い方 第二戦は先発だったが p.124-125

1986.2 ノンアマってなあに FIFAの分類 サッカー協会の苦心 p.108-109

1986.3 すばらしかったテレビ中継 和司のフリーキック万歳 加藤久の負けじ魂 p.92-93

1986.4 奥寺康彦はどこへ? 契約選手としてなら? ゲストプレーヤーの怪 p.96-97

1986.5 森監督の突然の辞任 監督は専任がいいが・・・ 加藤久選手の憤慨 p.94-95

1986.6 ついに来るプロ時代 ワールドカップの回想 「フットボールの社会史」 p.94-95

1986.7 アマチュアリズムの間違い 旧体協規定の間違い フェアプレーの理念 p.96-97

1986.8 スペイン幻のゴール メヒコの地下鉄 メヒコ’86の運営 p.96-97

1986.9 審判横暴の大会? 律義者の警告沢山 高田主審の評価 p.94-95

1986.10 マラドーナは何人抜き チームワークとは 中国できいた話 p.94-95

1986.11 ふしぎな壮行試合 ノンプロってなあに 広告に出る権利 p.94-95

1986.12 協会首脳部の大責任 もし監督だったら・・・ 日本サッカーの再建策 p.96-97

1987.1 ぺルドン!宇野君! 愚かな週一練習会 千葉進監督のこと p.126-127

1987.2 自費のW杯観戦に乾杯 永井良和君の敢闘 殊勲は体協の広堅太郎氏 p.112-113

1987.3 史上初のタイトル 天皇杯棄権は正解だった 日本代表は勝てないか? p.96-97

1987.4 スポーツには家風がある 世界最高峰の交差横断 マラドーナと登山 p.96-97

1987.5 高齢者のサッカー ミニサッカーその後 女子サッカーの今後 p.126-127

1987.6 武田修宏君万歳! 松山吉之君万歳! スコアと内容に不満あり p.120-121

1987.7 ラモスの奇策 集中守備とオフサイド 武田修宏の奇跡 p.110-111

1987.8 ジョージとジノ・サニ 最優秀は加藤久だ! ラモスの功績の評価 p.94-95

1987.9 一流コーチを集めて 往年の名選手が指導 日本はなぜ来ない? p.120-121

1987.10 優秀選手の選び方 選抜FCの問題 少年サッカーランドの夢 p.112-113

1987.11 富士五湖での体験 「ふじかめ」がんばれ! 勝ち抜き戦の弊害 p.126-127

1987.12 ぺルドン!石井? タイからあげた決勝点 強運も実力のうち! p.110-111

1988.1 石井全日本の不運 協会幹部は総辞職せよ 単独チームで強化を p.144-145

1988.2 加藤久選手に大賞を! 読売クラブの二冠 選手登録改革に技能賞 p.116-117

1988.3 国見の小嶺監督万歳! 国見のゴールが示すもの 一年生原田起用の内幕 p.110-111

1988.4 楽しいから開きたい 競技場はむずかしくない 日本代表の強化は p.112-113

1988.5 日本リーグに罪はない プロができれば? リーグの日程を変えるな p.108-109

1988.6 ちょっとチョモランマへ 登頂隊員の選び方 プロフェッショナリズム p.118-119

1988.7 カトマンズから山中へ シガールの町で チョモランマ国際大会 p.126-127

1988.8 名取篤君おめでとう! 迫力あった決勝戦 日本の観客は世界一だ p.110-111

1988.9 ユーベロス待望論! 米国は変えられるか? 日本への影響は? p.94-95

1988.10 勝つことと育てること ツートップ、是か非か? クラブ組織の成果 p.112-113

1988.11 クラーマーさんの苦言 新チームの問題点 傑出した選手は p.128-129

1988.12 あるブラジル人の意見! 集団主義の弊害 クラブ育ちの高校選手 p.112-113

1989.1 日韓サッカーの感想 乱闘処分に異議あり! リーグと協会も猛省せよ p.128-129

1989.2 笹波昭平さんの功績! 読売クラブの5冠! 世紀の泥んこ試合 p.116-117

1989.3 ブラジル人コーチの功績 鳥居塚伸人君がんばれ! レベルは上がったか? p.112-113

1989.4 びっくり、アメリカへ! 中米からの珍客 日本人コーチの奇跡 p.104-105

1989.5 コスタリカの初勝利 ラテンらしい失敗 国際舞台の経験不足 p.112-113

1989.6 コロニーのスポーツ W杯が近づいた! 下田隊員奮戦の補遺 p.112-113

1989.7 野球の2リーグ制 フットボールの人気 バスケットの経営 p.128-129

1989.8 ちょっくら欧州へ W杯を見に行くには 個人で見に行く方法 p.126-127

1989.9 NYで連日テレビ中継 初戦は良かったブラジル マラドーナ一本やり p.110-111

1989.10 何のためにブラジルへ? クリチーバでの試合 日の丸めざす三浦知良 p.128-129

1989.11 高校とクラブの交流 女子の日本リーグ 大学サッカーは何のため? p.120-121

1989.12 米テニス育成三つの柱 集中強化との違い 日本のサッカーの場合は p.112-113

1990.1 蘭とサッカーの町で ナシオナル躍進の秘密 代表チームとプロ p.146-147

1990.2 サッカー大賞おか目八目 フリットが来ないわけ イタリア旅行での体験 p.130-131

1990.3 スペイン語のチャンネルで テレビ中継と解説者 ほんとはバレージが最優秀 p.114-115

1990.4 「私とサッカー」を読んで 神戸FCへの注文! OBサッカー連盟 p.130-131

1990.5 プロだろうがアマだろうが プロサッカーの条件 テレビとプロスポーツ p.130-131

1990.6 希望に満ちた開幕戦 ゆっくりと、確実に! 東西対抗で盛り上げる! p.128-129

1990.7 W杯代表の周到な準備! 代表選手は協会と契約! 米国サッカーの二重構造 p.114-115

1990.8 おしゃれな開会式 始まりは、おとなしく? 波乱の1次リーグ p.130-131

1990.9 W杯改革のとき? アジアの枠は減る? 参加国を32に! p.146-147

1990.10 NHKはけしからん? ベスト11の選び方! 審判は目茶苦茶だ! p.122-123

1990.11 横山全日本の正念場 代表の監督もプロに! 任期は4年で十分だ! p.128-129

1990.12 “落とし受け”って何だ? アジア大会の日本代表 チームプレーの指導法 p.138-139

1991.1 横山監督は辞任すべきか? 監督解任を検討せよ! 強化委員長の交代! p.144-145

1991.2 天皇杯で国立を満員に! サッカー仲間大集合! トヨタカップの教訓! p.128-129

1991.3 九州の指導者に大賞を 女子代表に殊勲・敢闘賞! プロ・リーグへの心配 p.112-113

1991.4 10チームに絞った蛮勇? 選手の引き抜きを防止せよ! バルコム監督からの電話! p.114-115

1991.5 32年間の協会の実力者 クラマー氏を招いたのは? 全国少年大会の誕生 p.120-121

1991.6 川淵強化委員長の2役 加茂周監督にしないのは? 女子日本代表の場合 p.130-131

1991.7 900人の大招致委員会 会長には熱意ある大物を 誘致経費は42億円? p.122-123

1991.8 PK戦は是か非か? H&A制のメリット! ジーコの日本行きは? p.120-121

1991.9 海部首相の祝辞! 長野冬季五輪との比較 大衆とともに進もう! p.128-129

1991.10 キリンカップへの評価! パルチザン戦への評価! 日韓定期戦への評価! p.126-127

1991.11 本物の真剣勝負の魅力 国際的な報道サービス ボランティアの難しさ p.118-119

1991.12 東海マスターズの人気 カズの人気の秘密は? 4万人大作戦は雨で不発? p.118-119

1992.1 コニカ杯の退場事件! 試合後に分かった違反? 審判割当ての難しさ! p.144-145

1992.2 ゾーン守備への郷愁! サビチェビッチの退場 新しいスターの誕生! p.128-129

1992.3 大賞は天皇杯の大観衆に! 協会も自ら努力を! Jリーグには技能賞? p.128-129

1992.4 五輪予選敗退の責任は? 日本選手は悪くない! 国際経験不足は誰? p.128-129

1992.5 関係者の発言は慎重に! 世間の反応は冷静だが! サッカーくじの長所 p.142-143

1992.6 外人監督を歓迎する! 勝負強さに不安は? 獲物は大きく、損はない! p.142-143

1992.7 選手の報酬が急騰! 選手の保有権は? 過渡期だけの問題? p.118-119

1992.8 代表チームの国際試合 オフト監督の戦い ラモス頼みの問題点 p.142-143

1992.9 トヨタカップの先見の明! 72年のピョンヤン行き 後任は島田秀夫氏昇格 p.134-135

1992.10 蹴球からサッカーへ 読売クラブの成長! アマチュアリズム批判 p.136-137

1992.11 東京ドームの好試合 オフト監督の選手操縦 清水対サントス p.142-143

1992.12 ナビスコ・カップの成功! 新しい試みの功罪 米国プロの試合方式 p.142-143

1992.12.19 立派で不便な施設 記者会見はバベルの塔 会場分散のすすめ p.109

|

« 『体育と競技』収載サッカー関係記事索引 | Main | 『イレブン』掲載「川本泰三インタビュー」索引 »