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第1回ウルグアイ大会(1930年)

千野正人 「ワールドカップの話」
『蹴球』no.1 1931.10 p.19-25

日本最初のW杯紹介記事は大日本蹴球協会の機関誌『蹴球』の創刊号に登場している。著者は神戸一中、慶応卒で協会理事、『蹴球』誌の編集担当、毎号何か記事を書いている。
全11節と付録(予選リーグの戦績と準決勝、決勝の試合結果)からなるが、小見出しがない。第1節の全文は以下のとおり。

 ワールドカップに就ては殆ど知られてゐない。ワールドセリーズの野球のトロフヰーだらうと早合点する人もあらう。実はワールドカップ即ち蹴球の世界選手権盃なんである。蹴球関係者として迂闊なことだが大分初耳の人もあらうと思ふ。断って置くがオリンピック大会の蹴球選手権とは全然無関係のものである。
 将来或はデヴヰス盃に於けるが如く、此のカップを日本へ取らうと躍起になる時代が来るかも知れない。尤も現在の国際蹴球連盟は廣い意味のプロフェッショナルを認めてゐることであり、尚此他蹴球に対する態度には多分の疑問を有してゐることであるから、日本として直ちに之に参加することの正否は別問題である。

2節はカップの由来と優勝チームの金メダル、3節はルール。4節は参加国に関することだが、日本に招請がなかったことについて、「本協会の加盟が千九二九年の五月十七日であるから、之より以前の連盟総会で選手権大会開催の決定があったのぢゃないかと思ふ」と述べている。5節は参加選手資格、植民地もFIFA加盟が認められていること、登録選手数が22名であること。
6節は予選リーグと決勝トーナメント、地域予選について。8節は期日と試合スケジュール。9節は審判と試合時間、延長戦について。10節は陪臣委員会。11節はユニフォーム。

なお、『蹴球』以外に『アサヒスポーツ』と『運動界』の1930年7、8月号を見たが、いずれもベタ記事すらなかった。1930年5月下旬には第9回極東大会が東京で開催されており、この大会で日本はサッカーで初優勝(といっても1勝1分け)している。『アサヒスポーツ』は6月にこの大会の特別増刊号を、『運動界』は7月号を大会特集号として刊行しており、W杯どころではなかったもよう。


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鈴木武士 「新ワールドカップ物語 第1回 熱狂へのスタート」
『サッカー・マガジン』v.8 no.10 1973.9 p.136-139

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「世界杯を彩った名ポスター 第1回ウルグアイ大会」
『イレブン』v.11 no.7 1981.7 折込頁

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賀川浩 「ワールド・カップの幕あけ1930年」
『イレブン』v.12 no.3 1982.3 p.154

フランス人、ジュール・リメ氏の提唱 ウルグアイの建国百年 宿命のライバル


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イストバン・ソモス 「レフェリーの回想ワールドカップの想い出 1 第1回1930年ウルグアイ大会 J/ランゲヌス氏(ベルギー)」
『サッカー・ジャーナル』 no.1 1982.5 p.34-38

ワールドカップの実現 決勝前夜 ラプラタ河の熱狂 逆転-歓喜の爆発 モンテビデオから帰国


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鈴木武士 「ウルグアイ代表(1924年~1930年) “奇跡のチーム” は欧州の強豪を撃破して世界を制覇!」
『サッカー・マガジン』v.20 no.7 1985.7 p.86-88

オリンピックで驚異の二連覇 「われわれは囚人じゃない」 「鉄のカーテン」をひきワールドカップ優勝

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