« 『イレブン』掲載大谷四郎コラム索引 | Main | 日本最初のサッカー紹介書 »

『イレブン』掲載賀川浩著「うちそとサッカー40年」索引

1980年~1984年にかけて『イレブン』誌に掲載された賀川浩氏の回顧的エッセイ。
--------------------------------------------------------------------------------
1980.5 十六年ぶりのベネ p.155

1980.6 一九五九年春の杉山隆一 p.149

1980.7 一九四一年(昭和16年)日米開戦、4か月前 特別大演習のために中止された全国大会 p.145

1980.9 ローマでの回想一九六〇年(昭和35年) p.145

1980.10 ベルリン五輪記録映画「民族の祭典」と「美の祭典」 p.143

1980.11 ヘルシンキを沸かせた“マイティ・マジャール” p.141

1981.1 ヨハン・クライフをはじめて見た日 p.189

1981.2 「ガンさん」と戦後初の東西対抗 p.145

1981.5 一九五四年3月7日、雪と泥と寒さの日韓戦 p.171

1981.7 若き森孝慈の“非凡”を見た19年前の決勝戦 p.149

1981.8 1964年大阪トーナメントの思い出 p.147

1981.9 飛行機事故で全滅したトリノ・カルチョと代表チーム p.149

1981.10 六高と広高の2時間の熱戦 戦後初のインター杯 p.149

1981.11 1922年ビルマ人・チョウディン氏来日 半日の指導でショートパスを開花した少年たち p.149

1981.12 1967年4月9日釜本“200ゴール”への第一歩 ヤンマーの浮沈を賭けた開幕戦2発のシュート p.153

1982.1 ハリウッド映画とサッカーのドッキング p.177

1982.2 一九八一年一月七日ブラジル神話が復活した日を思う p.147

1982.3 ワールド・カップの幕あけ1930年 p.154

1982.4 ムッソリーニと1934年ワールドカップ p.149

1982.5 第3回ワールドカップ(1938年) p.177

1982.6 自殺、ショック死、劇的な’50W杯大会 p.151

1982.7 強豪ハンガリーを破り、敗戦国民の志気を高めた西独 p.147

1982.11 新人ペレの活躍でブラジル、ジュール・リメ杯獲得 p.145

1982.12 地震の悲劇を乗り越えた800万国民の興奮 p.143

1983.1 伝説のストライカー手島志郎さん p.143

1983.2 サッカーの母国、イングランドの威信を回復した’66W杯 p.145

1983.3 スペインW杯をテレビで見た人は世界で延べ100億人にもなった ヨーロッパ選手がメキシコの強烈な太陽に悩まされた’70W杯 p.149

1983.4 “サッカー”は世界の記者の話題だ オランダのトータル・サッカーと西独優勝に沸いた’74W杯 p.163

1983.5 1978年WORLD CUP 二千五百万アルゼンチン国民を一つに結びセレステの国旗と白い紙吹雪が美しく舞った p.75

1983.6 1982年WORLD CUP 予想した利益の半分、スペインW杯収支 p.140-141

1983.7 気宇壮大な甲子園スポーツセンター p.147

1983.9 23年前にクラマーさんが与えたカルチャーショック p.151

1983.10 ソ連の大男たちの器用な足技に驚いた p.151

1983.11 生涯をサッカーに賭けた情熱家野津氏逝く p.151

1983.12 “大コーチ”クラマーの手作り選手 p.151

1984.1 トヨタカップは、毎年盛況だが・・・ p.157

1984.2 釜本の完成に大きなポイントになった西独留学 p.161

1984.3 61年前の“超超満員”のウエンブレー・スタジアム p.149

1984.4 母の親切心からはじまった、わが家のサッカー p.147

1984.5 1953年、国際学生スポーツ週間に日本チーム初出場 p.171

1984.6 より楽しく、面白く指導するクーバー式サッカー p.153

1984.7 ソ連、東欧のサッカー強国のロス五輪ボイコット p.147

1984.9 昭和9年8月冬の大会を夏に変更 p.9

|

« 『イレブン』掲載大谷四郎コラム索引 | Main | 日本最初のサッカー紹介書 »