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「高師運動と文相(教育科も教科も設けよ)」『東京朝日新聞』1919年12月17日論説

1918年の大学令により私立大学、国公立の単科大学の設置が公認されました。以前から東京帝大の経済学部として東京帝大に統合する計画のあった東京高等商業が東京商業大学(現・一橋大学)に、大阪、名古屋の医学専門学校が医科大学(現・阪大医学部、名古屋大医学部)に昇格がいちはやく決定します。早慶を始めとする私立大学も続々「正式の大学化」を実現していきます。「文部省直轄学校」として東京高等商業と同格だった東京高等工業(現・東工大)、東京高師も「全校一丸」となって大学昇格運動を起こします。「高師運動と文相(教育科も教科も設けよ)」は『東京朝日新聞』1919年12月17日のこの問題に関する論説です。

“学校の昇格運動は、近来の流行物となり、最近高等工業の昇格運動に次で、東京高等師範の大学昇格運動起り、広島高等師範もまた風を望んで立ち、昇格の決議を為すと共に遥に応援運動に着手す。風雲重重畳旬日、十五日中橋文相と嘉納校長、三宅教授の会見に於いて、文相の声明を得て、該運動は一段落を告げたり。文相の声明なるものは、好意を以て大学特設を聴き取るも当局の意見は明言の時期に非ずと言ふと、高等諸学校の組織変更は、目下相対的に調査中と言ふなり。吾人文部当局の意志を察するに、一の昇格運動を片付くれば、他の昇格運動起り、他の昇格運動を落着せしむれば、又次の別運動起るべく、要は根本的に全国の高等程度学校の位置組織に就き、系統的の統一案を確定せざれば已まざるべし、高等師範の問題は其の後に於て解決せんとに在るが如し。此の如きは当然の事にして、高工の運動に会ひ、高師の紛憂に邂逅して初めて考へつくべきに非ず。文相は此の声明を以てして、僅かに一時を弥縫したるも、他日根本案成るの暁、若し今日まで文部当局者が非公式に発表せるが如く、高等師範は教員養成の機関にして、学術の蘊奥を究むる大学とは別なりとの方針を定まらんか、恐らく高師関係者も黙して従ふことを為さざる可し。而して茲に注意すべきは、文相の説明に於て大学昇格と言はずして、大学の特設と言へることなり。是より見れば文相は矢張り南次官の言へる如く、師範大学、教育大学と言へる如きは、大学令に適当せずとの意見なるが如し。然れども是は問題なり。勿論大学は「学術の理論応用を研究し更に其の蘊奥を究む」るにあるも、高等師範は精神教育の基礎にして、此に於て養へる確固たる根底に立つ精神教育を以て、出てて之を師範教育、若くは普通教育に応用するものなれば、物質文明に関する学術を究むる諸大学と相併んで、之れを大学令の下に収容するは何等の差障なかるべきなり。若し之を以て不可なりとせば、高等技師を養成する高等工業の大学昇格を如何にすべきや。又医師を養成する医科大学を如何にすべきや。更に又商人を養成する商科大学を如何にすべきや。[キ ニンベンに者 ]て又高等師範の当局者が言ふが如く、文科大学にて教育講座を設け、高等学校教員を養成しつつあるを如何にすべきや。文相並に文部当局の意見は、物質偏重にして精神方面を閑却せる、因習固陋の狭隘なる見解に囚はれたるものに非ずや。

 吾人はこの見地よりして、今の大学令にも感心せざるものなり。大学令第二条には、大学の学部を法学、医学、工学、文学、農学、経済学及商学の学部に制限せり。高等師範は以上の理由に依って、当然大学昇格を認めて、差支なしと信ずるも、若し飽迄夫れでは大学令に反すとの見解を取らば、須らく同令を改正して教育学部の一部を開いても可なるに非ずや。而して吾人は更に此等の学部の外に教学部の一部を置かんことを唱道す。欧米には夙に大学に神学部あり、我国に於ては文科大学の中なる哲学科に於て宗教学の講座を設くるも、過般の大学令改正に当ても竟に之を認めざりしなり。抑宗教学は宗教家並に宗教学者養成の為に必要なり、宗教家は国民の高位にあるべきものにして、其の学識識見の浅深は、国民精神の指導に大関係あり。故に吾人は国家の見地よりして高等の宗教家及び宗教学者を養成することの、国家の品位と消長との上に少からざる消息を有するものと思ふ。此の意味に於て教科大学の必要を信ずるも、こは他日改めて論ずべし。

 文部当局は臨時教育会議に於て定められたる大学令を、完膚なきものの如く説くも、現今の時代は凡て改造の時代なり。若し大学令に於て欠点を発見せば、更に会議を招集し、更に全国識者の輿論に問ひ、其改正に吝ならざるべきを勧告せんと欲す。要するに教育は国家の基礎なり、大戦以後世界の大勢に徴して、之に応回すべく十分の考慮を費さざる可らず。殊に現時思想混乱し、国民其の帰趨を知らざる時、教育の如き、宗教の如き、精神的方面の学術に於て深く注意を払はざる可らず。高等師範を以て只職業的教員の養成所と考ふる如きは、浅薄の見にして、此の如くんば人格識見を以て立つべき立派なる教員は竟に養成するに遠からん。

 顧みて現在の教育界を見よ。醜陋、卑屈、人の範たる資格あるもの洵に寥々たるに非ずや。是れ従来の師範教育が余りに窮屈なる鋳型に嵌められ、自由快活の天地を見せざる余毒なり。須らく他校と同じく大学昇格の機会を与へ、自由の空気に開放し、生々たる活力を教育界に送らざる可らず。是れ現今の教育者をして、其の志操を向上せしめ、其の意気を壮快ならしめ、以て世界に処する日本国民を造る原動力たらしむべきなり。而して又之が為に、新進の人材を師範教育に吸収し、竟に大学派、茗渓派などの、井底蛙的の学閥を打破し、今の教育界の幣風を拭ふにも功あるべし。

 只従来此種の運動には、学生結束するも教員之を戒め、教員之に参加するも校長之を宥むるを常とす。然るに今回の高工といひ高師といひ、学生、教授、校長一致団結して文部省に当るの現象を呈す。即ち世界の趨勢に同ずる団体精神の発動なり。文部当局は之に対して不足を託つも、大勢は如何ともす可からず。要するに是労働運動の趨勢が、教育界に及ぼせる影響なり。随って一度指導宜しきを得ざれば、思想界の混乱は更に憂ふべきものあるを加へん。一致して騒げば事は成るべしとの浅慮を以て世を行かば、我国の将来は如何。此点に就ては文教当局者は別に深く考ふる所なかる可からず。”

東京朝日は東京高師の大学昇格に賛同しています。“大学令第二条には、大学の学部を法学、医学、工学、文学、農学、経済学及商学の学部に制限せり。”とあるので、文部省はこの範囲で単科大学昇格を線引きしたかったと考えていいでしょう。従って、高商、医専、高等農林はそのまま単科大学になる可能性があったのですが、「教育学部」は対象外になっています。結局東京高師は1929年、東京高工と一緒に大学昇格し、東京文理科大学となります。文学と理学を統合した文理科大学とし、教員養成機関としての高等師範も併存することになります。戦後、両校を統合して東京「教育」大学となった時、研究志向の文理科大学系は猛反発したそうです。大学は教育機関なのか「学術の蘊奥を究むる」研究機関なのかという古今東西で見られる論争がここでもあったということです。

“只従来此種の運動には、学生結束するも教員之を戒め、教員之に参加するも校長之を宥むるを常とす。然るに今回の高工といひ高師といひ、学生、教授、校長一致団結して文部省に当るの現象を呈す。<中略>要するに是労働運動の趨勢が、教育界に及ぼせる影響なり。”と述べて、学生、教員、校長(さらに同窓会も)一丸となった運動は労働運動の影響だと述べています。校長が付和雷同したことを批判しているのですが、こうした批判が堪えたのか、嘉納治五郎は1カ月後の1920年1月11日高師校長を辞任します。

この問題に関しては、鈴木博雄著『東京教育大学百年史』(日本図書文化協会 1978)の「昇格運動」(p.197-251)に詳しく記述されています。

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