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『大日本体育協会史』における大日本蹴球協会の創立

『大日本体育協会史 下巻』大日本体育協会 1937に体協傘下の各協会史があり、「第二 大日本蹴球協会史」(p.1012-1047)がJFAです。「一 協会の創立」の記述は以下のとおりです。

“大日本蹴球協会が創立されたのは大正十年九月十日であった。協会創立の動機はさかのぼって大正八年三月となってゐる。同年三月十二日の東京朝日新聞紙上に英国蹴球協会からわが蹴球協会に大銀盃が寄贈された記事が掲げられた。然し当時はこの寄贈銀盃を受ける協会の如き機関を持たなかった蹴球界は、蹴球協会の設立される迄といふ条件の下に大日本体育協会長嘉納治五郎の手を煩はして三月二十八日英国大使館に於て授受されたのであった。この時英国大使グリーンは銀盃寄贈の辞として
 「之に因って日本の運動競技界が一層興隆を来すであらう。これと共に日英国際関係も大層親密になる事を希望する」
旨を述べられてゐる。英国蹴球協会から銀盃が寄贈されるに至った経緯は詳にされてはゐないが大正七年二月東京蹴球団主催、東京朝日新聞後援の下に行はれた関東中等学校蹴球大会の砌、英国大使グリーンが臨席されたのがキッカケとなり大正十二年大震災の折不幸横死を遂げたヘーグの尽力が与ってゐるようである。
 寄贈銀盃を擁してここに協会設立運動が開始された、内野台嶺を中心にして武井群嗣、渡辺年、大滝正寛、熊坂圭三、吉川準治郎の諸氏が大評定の末、英国大使館ヘーグから貰った英国蹴球協会規約や参考になる英国蹴球界の事情を聴取して草案を作成したが、会長推戴が案外手間どって発会式を挙げる迄に約二年半を閲してしまった。”(p.1012)

この記述は内野台嶺「協会設立の顛末」『大日本蹴球協会会報 大正10年度』p.3-5 の

“これより前大正七年春二月、関東にも関西にも第一回蹴球大会が催された。殊に関東大会には時の英国大使グリーン氏が来場された。それらの関係から日本の蹴球の様子が英国に伝はり、其の結果此のシルバーカップの寄贈といふ段取になったらしい。”

を継承したものでしょう。

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