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体協の第4回極東大会(1919年マニラ)不参加を報じた『東京朝日新聞』記事

1919(大正8)年3月18日付『東京朝日新聞』記事

極東大会を脱会
      麻尼拉から延期不可能の回答
         △日本からは選手を送らぬ事に決定す

本年五月麻尼拉に行はるる第四回極東国際競技大会はその時期が日本側の選手にとり甚だ不都合を来すので過般日本体育協会より公式に八月に延期を申込んだ事は既報の通りだが其後先方では再三委員会を開き協議の結果愈今回延期不可能の回答に接した。

其の理由は支那側の不賛成と八月は麻尼拉に於ては雨期であるとの事であるが右に就き嘉納日本体育会長は語る「実際日本では五月は選手に取って困る時期である。文部省でもあまり進まぬらしいし少数の選手を送り相当な金を費って不成績に終る位なら寧し断然脱会した方が好い。そして此の際もっと大きな世界の檜舞台である万国オリンピック大会へ少数でも選手を送り、欧米各国の選手と全然対抗せずとも日本にも是位の技量を持った選手が居るとと云ふ事を示し、尚行く行くは彼等と対等に競技し得る程度まで促進させて見たいと思って居る。興奮剤は之れとして内国では時々競技大会を開き適時滞日外人をも参加し得るオープンの大会をも開いて見たいと思って居る。何れ右の事は協会の常議員会尚一応相談する事になって居るが、主なる評議員連中は大賛成して居る。要するに極東大会から脱会すると云ふ事はそれ程大した悲観ではない。」”

『東京朝日新聞』のこの6日前、1919(大正8)年3月12日付には英国Football Associationから銀盃が寄贈されてきた、以下の記事が掲載されています。

日本の蹴球戦奨励の為英国から銀盃を 来年から純然たる日本学校チームを作り最優勝者に授与する

英国蹴球協会は同国外務省の手を経て我英国大使館へ蹴球優勝銀盃を贈って来た。それは今から二週間許り前の事であるが銀盃の高さは十六吋、口径は七吋で其表面には『英国蹴球協会より日本へ贈る』と英語で彫られてある黒塗の台を付れば十九吋半の高さになる。英国蹴球協会が此銀盃を贈って来た意味は日本に於ける学校チームの発達を促進、奨励する目的であって、昨秋から英国大使館員が中心となって現在行はれてゐる高師を初め各学校のリーグマッチの優勝者に[やが]て授与される訳になる。併し本年は大使館員や支那人などが交ってゐるから本年から大使館員などはリーグ戦に参加せず純然たる日本学校チームのリーグ戦とした上優勝者に与へる筈であるといふ。従って本年度迄英国大使館員が中心とも見られてゐたリーグは新しく設立せらる徳川家達公及び英国大使を名誉総裁とする日本蹴球協会の管下に属する事となり将来は東京のみでなく日本全国に大会を開いて最優勝者に名誉総裁から此優勝盃を与へる事になるであらう。斯くしてこそ英国蹴球協会の厚意を初めて満足せしめる訳になるが日本蹴球協会は嘉納高師校長が本年の十月頃迄に委員を選んだ上委員会を開いて総ての具体的草案を拵へる予定である。因に右の銀盃は近日の中三越呉服店に陳列して一般の観覧に供する筈であると云ふ。”

銀盃の写真です。

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日本最初のサッカー・リーグ、日本へのFAカップ寄贈、大日本蹴球協会の創立に記したように、銀盃の寄贈をきっかけとする蹴球協会創立と、極東大会不参加問題をめぐる体協内の紛争、さらに同年12月に勃発する東京高師の大学昇格問題が同時進行した結果、蹴球協会の創立は銀盃の受領から2年半後の1921(大正10)年9月10日までかかることになります。

これからしばらく時系列的に新聞記事を追ってみましょう。

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