« 体協と日本青年運動倶楽部との妥結 | Main | この間嘉納治五郎は② 外遊 »

この間嘉納治五郎は① 東京高師校長を辞職 

体協と日本青年運動倶楽部との交渉に体協会長嘉納治五郎は顔を出さず、副会長の岸清一主導で交渉が進みます。この間嘉納は1920(大正9)年1月9日高師校長の辞表を提出し、アントワーク・オリンピックに出かけます。

『東京朝日新聞』1920(大正9)年1月11日付

嘉納校長勇退して国際競技の見物に
    新校長の三宅博士は白髪の五分刈で教育家らしい落着を見せる

東京高等師範学校長嘉納治五郎氏は九日突然文部大臣まで辞表を差出し後任として同校教頭三宅米吉教授を推薦して辞去し、午前十時より教授会を開いて辞職の理由を述べ、更に午後二時より生徒一同を講堂に集めて告別的演説をした。近日中に公式発表ある筈である。昨日後任校長三宅博士を学校に訪へば、白髪を五分刈にした如何にも教育者らしき落着きを見せた博士は『事実には相違ないが公式の発表のない中は』と頗る遠慮勝ちに語った。『嘉納さんの辞任を昇格問題に因るものと云ふ人があるがそんな筈は断じてない。元来多忙な嘉納さんは昨今益々繁忙を極め遂に健康を害したので愈々静養する事に決心された訳です。今後は十分保養の上戦後の欧米各国の教育制度や体育状態を視察の途に上らるる事になるだろう。丁度八月には万国オリムピック競技もあるから序に之も見て来られるでせう。何しろ嘉納さんの普通教育に尽された功績は偉大なるものだ。在職はさうだ!明治二十六年からだからなァ。私か?、私はまだ古い。明治十四年からだ。その頃は助教授や嘱託であったが教授になったのは明治二十八年だった。永いには永いが生徒を教える事だけで学校行政と云ふやうな校長の事務には一つも経験がない。従って校長としての抱負なんかまア無い。先づ以て任命になれば嘉納さんの計画の続きを間違はぬやう遵奉して行く考へです』”

『讀賣新聞』1920(大正9)年1月11日付

嘉納高師校長突如辞表を提出
    昨日学校で悲痛な別辞
         昇格も片付き宿痾療養

最近例の昇格騒ぎと免官問題に中心となった高等師範校長の嘉納治五郎氏は九日午後文部省に中橋文相を訪ひ突然辞表を提出し昨十日正午より学校に教職員及び学生を別々に集めて悲痛なる告別辞を述べた表面の理由としては昇格に就いて文部当局も好意ある回答を与へたので今はその成行観望の程で一段落し個人的には年来の糖尿病があるので悠り静養したいといふにある。

世界を漫遊する 
    後任は立派な三宅博士あり

◇嘉納治五郎氏談
私には年来糖尿病が持病で、今の内に静養して活動力を将来に貯へたい宿願であったが、学校の懸案であった昇格問題等を控へてゐる矢先なので見合せてゐた。所が今日此の問題も曙光を得て一段落となったのが一理由で殊に在職廿余年育んで来た人の中には立派な人材もあり、自分が留まらなく共後顧の憂ひは少しもなく後任としては人格も学識も共に申分のない主席教授文学博士三宅米吉氏があるから此方も大安心である。最後に私は今後は世界の大勢を知らなければ何事も出来ないと信じてゐるので静養をしつつ最近の機会に是非世界を漫遊して来て新知識を得帰朝後は再び外部より教育界の為尽力をする考へである。

在校三十年の三宅博士
    嘉納氏と同年輩

◇落合幹事談
今回の校長の辞表は個人的に宿痾を根本的に治療されるのと、一つには年来の希望であった世界遊歴を実現される為で昇格問題も一先づ片付いた今日最も好機会とされて辞されたので学生中には留任運動をする向もあったが、それでは校長の本旨にも反するものとして止めさした位で、校長が我校は勿論今日迄教育界の大立物として尽された功労は今更云ふ迄もない事実で、学校としては惜いが其後任に三宅博士の如き立派な校長を迎へられるので協力益々努力して嘉納校長の主意に添ふ考へでゐる。三宅博士は三十余年本校にあり嘉納校長と同年の六十一歳である。”


        

|

« 体協と日本青年運動倶楽部との妥結 | Main | この間嘉納治五郎は② 外遊 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference この間嘉納治五郎は① 東京高師校長を辞職 :

« 体協と日本青年運動倶楽部との妥結 | Main | この間嘉納治五郎は② 外遊 »