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体協と日本青年運動倶楽部間の東西交渉

1921(大正10)年1月21日付『東京朝日新聞』

諒解を得て
    極東大会両代表懇談の後帰京す

極東大会の選手問題に付在阪中であった日本体育協会の諸氏は別に一つの妥協案を造って青年運動倶楽部に提出する筈であったが、更に協議の結果、個人としては倶楽部の諸氏とも意志の疎通を得た事であるから、廿日夜の懇談会で岸博士から述べた談話の要領、即ち双方から選手を選抜し、臨時に特別の名目を付け、一団となって上海に送る。但し其際は原則として選手は各半[?]宛とするといふ事で倶楽部側に諒解を求むる事となり、岸、近藤、野口の三氏は二十一日午後七時十二分列車にて帰東した。(大阪電話)”

1921(大正10)年1月25日付『東京朝日新聞』

選手派遣の協議円満解決か

大日本体育協会に於て第五回極東競技大会に選手派遣の件に関して協会から岸博士、山岸、近藤、野口の四代表委員が去る二十日来阪し、非公式に大阪の日本青年運動倶楽部員と会談の後、二十四日午後七時から倶楽部の木下博士、春[日? ]、高瀬、兼田、多久、北村、東口の諸氏は体育協会に対する回答問題に就き協議を重ねた結果、第二項
 日本青年運動倶楽部の名に依って選手を派遣する事
を可決したるも、
 次回は関西地方にて開催する事
右三項の決議に就き論議沸騰したが、『体育協会を改造する事』なる希望条件が高瀬委員から発表されたが、結局協会員と協議し、円満なる解決を見る筈。尚日本青年運動倶楽部は二月から第一第三の日曜に阪神沿線鳴尾運動場にて練習会を開き、各委員部署を定めて指導監督の任に当ると云ふ。”

関東(体協)からは体協・日本青年運動倶楽部の双方から選抜した「特別チーム」を日本選手団とするという提案がなされ、関西からは次回開催の極東大会を関西開催とする要求が出されたようです。

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