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この間嘉納治五郎は② 外遊

嘉納はアントワープ・オリンピックに役員として参加し、翌年2月まで外遊します。

・出発

『讀賣新聞』1920(大正9)年6月9日付

嘉納氏の出発

前東京高等師範学校長嘉納治五郎氏は欧米各国の教育視察方々万国オリツピンク(ママ)大会参列の為め8日午前九時十六分東京駅発正午横浜解續の天洋丸にて出発せり。”

・帰国

『讀賣新聞』1921(大正10)年2月10日付

嘉納氏の帰朝を駅頭に学生大挙して迎ふ
    同氏を拉して大会場に入り徐に昇格の実行方法を講ずる
    文相の言責を握る者は同氏

昇格問題に就て愈々具体的運動を開始する事と決した東京高等師範学校では九日午後六時から本校内第一会議室で実行委員会を開いて教授、茗渓会、学生三派の委員三十名出席先づ一委員から此日の上院の形勢を報告して後具体案の協議を行ひ午後十時散会した。十日夜も更に実行委員会を開き尚審議する事となった。十一日の大会は午後二時から大講堂で出身者の近県大会を開くが出席者五百名の見込で宣言決議を行ひ大に気勢を昴げる。決議は昇格の促進を期する旨に留め実行方法は臨機にしかも厳重な手段を執るとの事である。尚昨年の昇格問題勃発当時当面の責任者で当局の言質をも取って居る前校長嘉納治五郎氏が大会当日たる十一日午前十時横浜入港のコレア丸で欧米漫遊の旅から帰朝するので、学校及び茗渓会の主な人々は横浜埠頭に出迎へ別々に高師全校八百の在学生は当日校内に勢揃ひし隊伍を整へ東京駅に練り込みそこで嘉納前校長の帰京を迎へる事となったが之は当局に対する一大示威運動を意味したもので全学生は非常な意気込である。高師の此の運動は十一日の大会を機会に上院の形勢に応じて白熱化すべく期待されて居る。”

なお、同一紙面には、小樽高商、高等工業、神戸高商の大学昇格運動の記事もあります。嘉納の帰国時は貴族院で大学昇格問題が審議中でしたが、結局この時点では実現しませんでした(高師と高工が昇格するのは1929年)。高師関係者は、昇格問題が一段落したことを理由に校長を辞任し、外遊していた嘉納の食言を質したかったのでしょう。

『東京朝日新聞』1921(大正10)年2月12日付

敗因は旅と不馴れ
    悄気るに及ばぬ日本選手
        高師昇格問題や極東競技問題で嘉納氏の縦横談

嘉納氏は曰く『安府の国際競技に参加した日本選手は技量に置いて外国選手に対し何等遜色はないが十分なる成績を得られなかったのは第一に国民的応援がなかったこと及び遠い旅をした上場所に馴れなかった為めである。併し選手一同各々技量を発揮し殊に金栗選手の如き米国の最も有名な選手の第二位を占めるなど大いに気を吐いた次第だ。又今後支那に開かれる極東オリムピック大会に日本から選手を出す事に就ては米国基督教青年会体育部主事エルウード・エス・ブラウン氏との間にも了解がある事故体育協会と相談の上適当の選手を選んで送る積りで自分も或は委員として上海に行く事になるのかも知れない』と云ひ更に話題を転じ『高師の昇格問題に就いては一昨年問題の起った時中橋文相は明かに言質を与へなかったが文相に昇格の意志のあった事は当時我々は認めてゐたので今度の議会には無論予算が出されてあるものと信じてゐた。何れ直に学校当局と協議の上相当の手段を執る考へでゐる』”

高師関係者に「拉致」されることはなかったようですが、ずいぶん能天気なことを発言しています。

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