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FAからのカップ寄贈から大日本蹴球協会創立までの時系列的整理

1919(大正8)年3月12日付『東京朝日新聞』記事でFAからのカップ寄贈→体協の第4回極東大会(1919年マニラ)不参加を報じた『東京朝日新聞』記事

1919(大正8)年3月18日付『東京朝日新聞』体協が第4回極東大会不参加を決定→体協の第4回極東大会(1919年マニラ)不参加を報じた『東京朝日新聞』記事

1919(大正8)年3月28日 英国大使館より嘉納治五郎体協会長がカップ受領

1919(大正8)年4月 関西の日本青年運動倶楽部が極東大会参加→関西の日本青年運動倶楽部が第4回極東大会参加

1919(大正8)年5月 関東の大学が極東大会不参加問題で体協に不満を表明→現役選手(専門学校聯合競技会)の体協への不満

1919(大正8)年6月 体協関西支部からも体協改革論→体協関西支部も実質上の「独立」論

1919(大正8)年12月 東京高師で大学昇格問題勃発 嘉納校長批判される→「高師運動と文相(教育科も教科も設けよ)」『東京朝日新聞』1919年12月17日論説

1920(大正9)年1月9日 嘉納治五郎が東京高師校長を辞職→この間嘉納治五郎は① 東京高師校長を辞職

1920(大正9)年6月8日 嘉納治五郎アントワープ・オリンピック参加と外遊に出発→この間嘉納治五郎は② 外遊

1921(大正10)年1月 第5回極東大会参加をめぐって東西で主導権争い→1921年第5回上海極東大会参加をめぐる東西抗争

1921(大正10)年1月20日 嘉納会長が外遊で不在の体協は岸清一副会長が中心となって大阪の日本青年運動倶楽部と交渉→体協と日本青年運動倶楽部間の東西交渉

1921(大正10)年1月30日 体協と日本青年運動倶楽部とで妥協成立→体協と日本青年運動倶楽部との妥結

1921(大正10)年2月11日 嘉納治五郎帰国→この間嘉納治五郎は② 外遊

1921(大正10)年3月8日 嘉納治五郎体協会長を辞職、新会長に岸清一就任→この間嘉納治五郎は③ 体協会長を辞任

1921(大正10)年9月10日 大日本蹴球協会創立

1919(大正8)年3月28日に体協会長嘉納治五郎がFAからのカップを受領してから1921(大正10)年9月10日に大日本蹴球協会が創立するまで2年半を要しています。上述のように、この間、東京高師の大学昇格問題と体協の極東大会参加問題が並行して発生しています。嘉納治五郎は東京高師校長として大学昇格問題を処理できず校長を辞職し、体協会長としては極東大会参加問題を岸清一に丸投げして外遊していました。嘉納は帰国後まもなく体協会長も辞職してしまいます。

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