『炎のランナー』のハロルド・エイブラハムスとパリ五輪で一緒に走った谷三三五はグリコのトレードマークのモデル
映画『炎のランナー』は実在の1924年パリ・オリンピックの陸上100m金メダリスト、ハロルド・エイブラハムスと400m金メダリスト、エリック・リデルの2人が主人公です。
1924年パリ・オリンピックにはもちろん日本も参加しており、100mには谷三三五(明大OB、当時満鉄勤務、戦後近鉄上本町駅長)がエントリーしており、予選でエイブラハムスと対戦しています。
谷三三五「トラック競技の今後の問題」『オリムピックみやげ 第八回巴里大会記念 第2輯』(大阪毎日新聞社 1924)p.29-38 には以下の記述があります。
“私の相手は、百メートル第一予選では英国のアブラハムスと、オーストラりヤのカールの二選手が強敵でした。”(p.36)
エイブラハムスにいついては、
“英のアブラハムスは両手を横に振り、足を後ろに高く蹴る、ストライドは大きくてピッチが早い。”(p.35)
と述べています。
予選通過を伝えた新聞に掲載された谷三三五の顔写真
写真でもおわかりのように笑顔の素敵な大変にこやかな人だったようで、グリコの「ゴールインマーク」のモデルの1人だそうです。
“Q: グリコの看板で大きく手を広げている男の人はだれ?
A:グリコのトレードマーク「ゴールインマーク」は、子供達が元気にゴールインする姿をヒントにつくられたんだ。当時、初代のゴールインマークは 「顔がこわい」と女学生に不評だったので、極東オリンピックで優勝したカタロン選手や、パリオリンピックに出場した谷三三五選手、マラソンの金栗四三選手らのにこやかなゴールイン姿を参考にして書き直したんだって。”
→グリコの看板で大きく手を広げている男の人はだれ?(現在ページ消失 「http://shop.glico.co.jp/malmag/002_04.html#03」はInternet Archiveで2006年6月26日現在のものがアーカイヴされており、再現できます)
400mにも納戸徳重がエントリーしていますが、リデルと一緒に走ったたかどうかを確定する記述はありませんでした。
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