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体協関西支部も実質上の「独立」論

『東京朝日新聞』1919(大正8)年6月7日付

体育協会を解散して各都市に自治団
    関西支部の意見
        木下博士等上京し本日協会の幹部と協議せん

日本体育協会関西支部は関東本部の行動、加納(ママ)会長の専断に就き種種協議中なりしが、愈意向も纏まりしを以て偶木下東作博士、武田千代三郎氏等の出京を機とし、嘉納会長、初め岸清一博士その他の幹部は今七日夕頃神田学士会(都合に依りては高等師範校内)に会合して意見の交換をなし、且学生側と協会側との融和を計り、此の際日本体育協会の大改革を断行し、大いに面目を一新する筈である。右に就き木下博士は語る「今度の遣比日本選手は非常な歓迎を受け、武田氏の名に依って日本青年運動倶楽部として認定され、マラソンと庭球に於てはトロフィーを授与された。之れは体育協会の方で引継で貰はねばならない。左もなくばその時こそ関西側は愈分離せねばならぬ事になる。関西側の主張に就てはその発表は本日の会議後にしたい」。一方関西方の消息通の談に依れば日本体育協会を解体して東京、大阪、名古屋等各大都市に個々の体育協会を置き自治団とし、対外競技に際してのみ此等が合同して聯合会長を置き、自治団は委員制度にしたいと云ふのが関西側の意向らしい。”

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