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フジタ工業(藤和不動産)サッカー部創部の経緯

『サッカーマガジン』1985年3月号 p.110-113 より。

“フジタ工業クラブ・サッカー部の始まりは、昭和四十二年、フジタグループの一つである藤和不動産の当時の社長、藤田正明氏の構想によるものだった。藤田氏は修道中(現修道高)-早大とサッカー選手として鳴らした人で、当時のサッカーブームの背景もあり、企業のイメージアップを狙ってサッカー部を作った。

 初代監督の黒木芳彦は、東洋工業で選手として活躍した後、母校の修道高監督を経て、先輩にあたる藤田社長を頼って藤和不動産に入社、チームをまかされた。そして四十三年、過去東洋工業で日本代表にも選ばれた石井義信をコーチに迎え、スタッフを整えるとともに安藤正俊(立教大)、脇洋一(同大)、吉田健二(山口大)ら大学での即戦力をはじめ十人の新人を加えた。これにそれまで同好会として活動していたチームから数人をピックアップして藤和不動産サッカー部がスタートした。

 栃木県那須高原に本拠地を置く構想になっていた藤和は、とりあえず栃木県リーグの四部に所属し、那須の施設が完成するまでの間、東京の仙川にある会社の寮の近辺で活動を開始、グラウンドを借り歩きながら練習。そして試合のたびに栃木まで出かけるという初年度であった。

 しかしながら、大学の準レギュラークラスを揃えた藤和は、栃木県リーグの四部チームでは、相手がいなく、一試合平均15得点の猛威をふるい全勝で優勝。強豪でも新加盟のチームは四部からという不合理を是正するために設けられた三部、二部、一部の最下位との入れ替え戦にも文句なしの勝利を収め、翌年の一部リーグ入りを決めた。

 四十四年には、佐藤喜一(水戸商)、小方静夫、池田陽二(ともに広島工)ら高校出の有望選手を集めた。佐藤は後に東京で行われるユース大会に日本代表として出場したストッパー、小方、池田は日本リーグで活躍した荒井公三(古河)、小原秀男(マツダ)、河本博(新日鉄)らと広島工時代同期で、ともにコーチを受けた石井を親って[ママ]藤和に加わった選手たちである。”(p.110-111)

その後については藤和不動産サッカー部(Wkipedia)

社長のトップダウンで創部、監督、コーチ、選手も広島人脈で集められたようです。広島御三家はすべてJクラブのオリジンの中心人物を出しています。

広島一中(国泰寺高):広島(東洋工業)、浦和(三菱重工)
広島高師附中(広大附高):セレッソ大阪(ヤンマー)
修道中(修道高):湘南(フジタ)

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