岡部平太のイングランド・フットボール・リーグ観戦記 「英国の蹴球」『世界の運動界』より
岡部平太は柔道出身であるが、1921(大正10)年の極東選手権では体協の蹴球担当役員を務めるなど、サッカーにも精通した人物であった。著書『世界の運動界』(目黒書店 1925)には、世界各国のスポーツ情報が記載されている。
「英国の蹴球」(p.169-175)ではイングランドのフットボール・リーグ、FAカップ、代表戦の概略を記し、1924年3月29日のウェストハム対ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン戦の観戦記が記載されている。日本人による最も早いイングランドのフットボール・リーグ観戦記であろう。
「英国の蹴球」『世界の運動界』(目黒書店 1925) p.169-175
“三月二十九日 英国の蹴球の季節は九月に始まって翌年の四月に終る。さうして最も盛んなのはプロフェショナル・フットボールでそれはアッソシエーション又はサッカーと称せられる我が国のア式蹴球でアマチュアも無論盛んにやるが各地に職業団体が発達して居るのでアマチュアーのゲームとしては寧ろラグビーの試合に本当の試合が見られる。
アッソシエーションの盛んな事は全く驚異に値する。テームの総数は迚も数へられぬが特に職業テームはテームの強弱によってデビジョンと称し、1・2・3の三つの等級が別れて居る。各級に二十二宛のテームがあり年々の成績率によって1のデビジョンから2に下る事もあり、2から1に昇る事もある。シーズンの間デビジョンの中での試合が土曜日毎に各都市で行はれ一テーム総計四十二回の試合をやり、其結果によって優勝テームを定め次年度の級位を決定する事になって居る。
このリーグ戦の間にフットボールアッソシエーションカップと称してデビジョンに関係のない他のカップ争奪戦が行れる。それにはデビジョンに属して居る選手でもデビジョンに関係なきカップ・タイの選手となってシーズンの間其方の争奪戦にも参加する事が出来る。
この外にインターナショナル・ゲームと称してイングランド・ウェルス、アイルランド、スコットランドが各ピック・アップ・テームを編成して試合をしてナショナル・チャムピョンを法める試合もある。今は丁度シーズンの終りに近くカップタイは次の週の土曜日が決勝戦になって居るインターナショナルではイングランドの選手選銓衡委員の見解が間違ってゐる為イングランドが弱いのだと矢釜しく議論されて居る。或土曜日一日のイングランド・リーグだけの入場者の数を計算したら六十三万二千人であった。この外にラグビーもやって居るのだから驚くべき数だと感心した。
今日はロンドン市のテームで昨年の優勝テームであるウェストハムと1919から1920年迄の優勝テームである北方のウェスト・ブロウッヒ・アルビンとの試合なので午後二時アプトムパークの競技場に出掛ける。
三月末だけれども風はなかなか冷たい。この気候が一つは英国のシーズンを斯く長くし、斯くフットボールを盛んにさせる大きい原因でもあるのだらう。
スタンドはアメリカで見る様な宏大なものではないが、正規のサイド・ラインから六尺を隔てて高さ三尺の堅固なコンクリートの囲ひがあり、其周囲に十七八段になった観覧席があるが、二万人位収容し得る見物は殆んど立見である。
キック・オフの五分前楽隊が競技場を退くと両チームは相手に迎へられて同じゲートから出て来て別々のゴールに向ってシュートの練習をする。ホワード・ウイングのシュートが特に目覚ましく冴えて居る。ゴールを越えて見物席にビューと蹴込む球が凄まじい。レフェリーが新らしい試合球を抱いて出て来る。主将にトスをやらせてすぐ試合が開始される。タッチ・ジャッヂが白い小旗を以て両方に別れて立つ観覧席はもう一人分の余地もない程の顔で埋まった。
ユニフォムはウェストハムは海老茶に脇だけが白、テルビン(ママ)は白と藍の立縞だから一見して区別が出来、ゴール・キーパーだけ両方とも青いオヴァー・スエターを着てゐる。
キック・オフはホワード・センターに渡しインナーは相手のチャージをよけて軽く味方のセンターに渡しそれから混戦になる。盛んなヘッディングが行はれる。前後左右自由自在に利く。巧妙なドッチング。」正確なパス。ドリブルは決して長くやらぬ。パスが早い。
さうして一番著しく目につく点はア式蹴球のけ傾向が要するにコンビネーションの問題になって居るといふ事である。彼等のキックは恐らく一人一人四十碼は利くだらう。然しそれらを使はぬ。コンビネーションなきキックは常に無効であるのみならず容易に味方を不利に導くものである。日本で応援団が喝采する様なボールが飛ぶと附近の見物はプァーだと囁く。事実其球の効力は貧弱に終る。同様に時宜に適せないロング・シュートも空しくゴール・キックを迎へるに過ぎない。之は長い間の事実から導かれた実戦上の決論であらう。
米国のバスケット・ボールも今や勝敗はシュートの技巧の時代を過ぎて全くコンビネーションの問題に到達して居る様である。然も其コンビネーションは小さい技巧に堕したテクニックではなく、テーム全体の頭の連絡になって居るといふ事を茲に明記して置き度い。それはア式蹴球も全く同一である。
職業ア式の勝敗はコンビネーションの熟否で左右される。その為ハーフの活動が非常に変って来て居る。ハーフは或時はホワードであり或時はフル・バックである。前衛線、後衛線が従来のポヂション論の時代の様に固定した任務に止まらず、関係が非常に密接でホワードが前進した時ハーフは直ぐにそれに次ぎ、フル・バックは常に中央線の向ふに迄進出してハーフとの連絡を失はない。即ちフル・バックは防御の任務を持つといふ考へから一躍して今日では攻撃的な任務に立つ様になって居る。然もそれが一面に非常な防御となるのである。之はキックの利かない日本チームにあっては更に其れ以上にフル・バックが前進しなければチームとしての本当の任務は尽せまいと思ふ。研究を要する。
今日の試合は両チーム共巧戦し前後のハーフ・タイムを通じて殆どチャンスらしいチャンスは来なかった。三四回宛コーナキックになったが両方共実によく危機をのがれた。ゴール・キックは大抵ハーフ・ウェーラインを越えて相手のハーフバック線位まで飛ぶ。
ウェストハムはただ一つの機会を掴んだ。敵陣近く迫った時、レフト・インナからウイングへパスされた球を矢のやうなシュートで左からゴール・ポストの根元に一点ゴール・インしたのが時間を通して只一つの得点であった。この時潮が寄せる様な拍手が場の四周から起った。
然し此の時ゴール・シュートしたバッフルといふレフト・ウイングの位置は日本ならば明かなオフ・サイドの位置に立って居た。相手の一選手は手を挙げてオフ・サイドと審判に注意した程だった。審判は省みなかった。それは審判の陰になって居た関係もあるが。
僕はこの試合を通じて如何に日本に於けるオフ・サイド・ルールが今日日本のア式蹴球の当事者に難解なそしてゲームの進行を遅滞させる暗礁となってゐるかといふ事を感ずるが故に茲に簡単に之に対する私見を挿んで見やうと思ふ。
元来今日迄のオフ・サイド・ルールなるものは現在本場の英国でもゲームの実際に当って甚だ不都合と考へられる様になって来た。何故ならば、やはり之に依ってホワードの活動は非常に制限され、ゲームが不活発になるを免がれぬ。だから・・・・相手の四十碼線内にある時前方に三人以上の相手なき時・・・・といふ規定を二人と改正しやうといふ意見が既に屡次繰り返されたが愈シーズンの終りから実際化しやうといふ機運にまで進んでゐるのである。
所が日本の蹴球界で条文の解釈にあまり拘泥し過ぎた事と、極東大会其他で公正とは思はれない外人の下にゲームを行った経験からこのルールがいやに難解なものになり遂にはオフ・サイドを見逃さず取る事を以て審判の明、不明を云々する条件の如くさへ考へる習慣になって益々ア式蹴球のホワード・プレーを委縮させてしまった。
僕はよく注意してオフ・サイドに於ける場合の審判の態度を見たが審判はボールの飛ぶ方向にプレヤーが実際に活動を起しフォローした時は極めて厳正にフリー・キックをやるが例へオフ・サイドの位置にあっても全くプレーに関与しない、又は出来ない位置にあるプレヤー、例へばレフトのサイドで球が競技されて居る時、之に干渉せざるライト・ウイングのオフ・サイド又はテームがバックしつつある時のホワードの位置については日本の習慣よりも遥かに寛大であるといふ事実を見た。それで念の為ゲーム終了後倶楽部ハウスに行ってこのクラブのマネヂャーエス・キング氏に其疑義を正して見たらやはり『ボールをチャーヂもしなければ、相手を妨害する事もない者はオフ・サイドを取らない』・・・・それは慥かだと断定した。
こんな事はなかなか簡単に条文では表はせない実際上の見解の相違で或は英国にも異った見解を有して居る人がないとも限らぬ。ただ僕のこのルールに対する見解だけを述べて困って居る日本蹴球界に送る。
この外ファウルや、ハンドに対する審判者の見方も可なり日本の習慣とは異った点を見受けたが之はゲームをゲームらしくするといふ態度がプレヤーと審判が共に持てゐたら自ら解決出来る問題と思ふから茲には書かない。”
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