岡部平太のパリ・オリンピックサッカー観戦記④ 「チェコスロバキア対瑞西」『世界の運動界』より
参考:1924年パリ・オリンピック記録(FIFA)
“チェコスロバキア対瑞西
五月二十八日
優勝候補、第一圏内に数へられるこの両テームの試合は第四日目、巴里の大市街を一望の裡に下瞰し得るベルゼール丘上の競技場で行はれた。
チェコスロバキアか、ウルガイか、瑞西か、ハンガリーか集評はだんだんと一致して来た。この試合は或は準決勝戦位に相当する試合だとの観測で、今日は競技場は一ぱいの人で埋まった。
試合開始前、メガホンはコロンバスで愛蘭対ブルガリーの前半戦0-0と報告した。
五時、チェコスロバキアは白に赤い縦縞に紺のパンツ、瑞西は真赤に白十字」のマークをつけたユニホームで、入場した。審判はノルエーの名選手だと称賛されて居るアンダソン軽快に立った。トスは瑞西が勝った。
キック、オフ。スイスは前衛の中央が強く、チェコスロバキアは両翼が強いとの評判であった。英国の職業ティームにも似たチェコスロバキアのティームワークは楽に、スイスを圧迫して行った。足の横、足の裏で弄球するパスが自由自在であった。スイス軍は其ショートパスとドッヂを恐れてチャーヂを躊躇する間隙に乗じてチェ軍はゴールを急迫して左右に二回の隅蹴を得たが物にならなかった。僕は寧ろレフトのインナーがうまいと思った。
然しスイス軍もチェコスロバキアの中堅線と前衛線に連絡の粗雑な点ある事を看破して其処を衝いて行ってゴールに迫ったがチェ軍の塁手に阻まれた。
チェコスロバキアの塁手は素敵なキッカーだった。体は大して大きくはないが軽いキックは左右共常に中央線より深く敵陣に飛び其一蹴で容易に味方を有利に導く事が出来た。
開戦卅分、チェコスロバキアの左翼より右インナーに渡った球にスイス軍其罰則エレア内にて反則し、ペナルティーキックを与へられる。ペナルティー・キックはインナーのスローブが蹴った。ペナルティー・マークの石灰を長く尾に引いて塁手の左肩上高くコーナーに飛び美事なネットインした。
次でスイスに好機ありしも入らず、チェ軍再びペナルテー線外にて自由蹴は得たるも、スイスの三人前面十碼の処に並立して動かず自由蹴は其頭上を擦めてアウトとなる。
後半戦に入ってス軍急迫したるも惜しい処でオフ・サイドとなりホワード・センター見事なるシュートを試みたるもチェックの塁手身を投げて好守した。
この頃になってスイスのテームワークに存する大きい欠陥が次第に著しく眼につき出した。それは各前衛間のコンビネーションの欠陥である。それはキックとパスの不正確から来る。抑もア式蹴球に於ける攻防は機会に左右されて変化し易いものである。然し其機会をよりよく導いて行くものは決して機会ではない。洗練されたテクニックに俟つより外に道はない。特に斯の如き、国際競技場に於ての試合では機会の持続によって局面を展開さして行く様な事は殆んど望めない事である。飽く迄理詰の戦法で最後迄押して行くより外に方法はない。一度掴んだ機会を飽く迄も有利に進めて相手の防御線を迫窮して行かねばならぬ。さうなってくるとキックの正確、パスの正鵠といふ事が優勝ティームの具備すべき必須の条件となる。
スイスの後衛はよく守った。前衛の活動も個人的には目覚ましかった。然し連絡に欠くる点あるが為好機は直ぐ失はれる。ゴールシュートは単独なプレーとなって相手方の塁手のファイン、プレーを見るばかりである。
チェコスロバキアの右翼セドラークが敵塁前の反則から退場を命ぜられてからスイスの攻撃は見違へる程整って来た。流石は国際ティームで与へられたペナルティーは黙って受けチェコスロバキアはタイム・アウトさへ要求しなかった。
試合があと五分となった。見物は電車の混雑を恐れて立ちかけるものが多かった。この時であった。スイスのハーフセンターから右翼に蹴った球がうまく、バウンドしてそれがレフトインナーに行き、センターにかへりセンターの強蹴がポストをかすめて塁手の右に這入った。
国際感情はこんな時に爆発する。猛烈な拍手が潮の様に四囲から起って立ちかけた見物は再び座席に戻って来た。
やがて一時間半のタイムは尽きて審判、主将会議の上五分休憩ゴールをかへて十五分分宛二回の延長戦に入った。時は既に七時、夕陽はあれ共薄色はローンの上に立ち迷った。両軍は疲れ切って居る。然し之から後はただ意気で闘はんといふ決意が両軍の上に見へる。この仕合は最初の前半は両軍あまりに其技巧にたよりすぎて熱を欠いて居た感があったが、延長戦に入ってからゲームは漸く熱して来た。チェック迫りて隅蹴を得たが盛り返されスイスも亦急激な突進を試みた。負傷者は相次いで出た。オフサイドは盛んに取られた。塁前ではヘッデングの肉弾戦がつづけられた。
十五分のタイムがつきてゴールを更へて更に戦った。もうただ意気と残された最後の体力の頑張り合だ。民族と民族、ネーションとネーションの意地の張り合ひである。
チェコスロバキアはハーフのセンターをホワードセンターに出し、フルバックの一人をハーフに出し全くの背水の陣容である。スイスの主将二十五碼線にハンドしチェコスロバキア自由蹴を得たるもオフサイドとなり好機を逸した。然し間もなくス軍を襲った危機は非常なものだった。右翼の球が左翼に渡り左翼がシュートしたのはスイスの塁前三碼位の処だった。塁手は体も砕けよとばかり線上に飛び、身を以てカバーした。無論、この球はゴールだと思はれたが、この塁手の一英断でスイスは安全だった。
すぐ次の瞬間にチェコスロバキアの左翼は転倒して気絶した。どのプレーヤーも気は張って居るが体力は既尽きかけて居る。倒れたらパタリと行って怪我をする。二人の闘士を失ってチェコスロバキアは受太刀とならざるを得ぬ。時間はまだ七分ある。次でスイスに機会が来た。センター、ホワードは手薄になったチェコスロバキアの後陣を縫って突進した。塁手は仕方がないからペナルティー線外のフルバック線にまで進んで防がうとした。 大きいヴォレーが頭上を越へてゴールに入った。見物は動揺めいた。然し審判は其突進の際に反則があったと主張して席を蹴って立ちかけた群集の威喝も平然として其点に動かず、チェコスロバキアに其場所から自由蹴を与へてしまった。それからこんな激戦はタイムが尽きる迄つづけられたが遂に勝敗は決せなかった。
其儘引分けとして委員会で次の日割を決定するといふ事で今日の試合は無勝負となった。
人間が自分といふ小さいものから離れ切って或感激に動いて居る時、そこには何か人間の力以上のすさまじいものを見る。チェコスロバキアのこの奮闘の様を見ながら万感胸に迫るものがあった。若い者が一国、一民族の強い意気を背負って居るといふ純一な強い感激に動いて居る様がとても平然として見てゐられない位であった。
電車で帰る途々よくも巴里に来た事の幸福を心から喜んだ。
瑞西 1-1 チェコスロバキア
愛蘭 1-0 ブルガリア”(p.278-283)
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