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『朝日新聞販売百年史 : 大阪編』における『アサヒスポーツ』に関する記述

『朝日新聞販売百年史 : 大阪編』(大阪本社販売百年史編集委員会編 朝日新聞大阪本社 1979)に以下の記述があります。

「アサヒスポーツ」 大正十二年三月一日、大朝編集局内に「運動部」が新設され部長に東口真平が就任、スポーツ取材のほかに「アサヒスポーツ」の編集発行もおこなうことになった。「アサヒスポーツ」は四六4倍判(B4相当)・表紙とも三二ページ・総グラビア印刷・定価三〇銭で全文横組みの新形式であった。毎月一日と十五日の二回刊、第一号は三月十五日発行、印刷は大朝の新鋭ロータリー式フォトグラビア機で印刷された。

 昭和十一年一月号から横組みは縦組みに変わり、十四年三月から編集の主体は東朝に移って十八年、戦時のため休刊、戦後二十三年一月十日号から週刊で復刊したが、日刊のスポーツ専門紙が各地で発行されるようになったため二十九年十月から週刊を月二回刊とし、三十一年一月十五日号を最後に廃刊した。”(p.309)

大阪朝日新聞編集局に運動部が誕生したのは1923(大正12)年であったことを確認できました。部長の東口真平は熊本師範、東京高師卒、第4回日本陸上競技選手権大会の100mで優勝しています。『朝日新聞』1945年8月11日付の死亡記事によれば、

“熊本県玉名郡玉水村出身、大正八年東京高師教育科を卒業、同九年七月大阪朝日新聞社社会部員として操[?]界に入り同十二年運動部長に就任、中等野球はじめ我国体育界のため尽[?]し昭和十四年二月大阪朝日新聞編集局次長、同十七年六月編集局長となり十九年取締役就任と同時にジャワ新聞社長として南方に赴きジャワ新聞会長を兼ね現地軍政の浸透に終始力を喝した。遺族としては、夫人、長男秀夫氏ほか四女がある。”

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