岡部平太のパリ・オリンピックサッカー観戦記⑤ 「ウルガイ対米国」『世界の運動界』より
参考:1924年パリ・オリンピック記録(FIFA)
“ウルガイ対米国
五日目は予想を裏切ったスコーアと思ひも掛けぬ結果となった。コロンバスでは前七回オリンピックの優勝ティームである白耳義がスエーデンに破れた。然も8-1といふ惨憺たるスコーアであった。巴里競技場では優勝候補のハンガリーが3-0で埃及に破れた。
ウルガイ 3-0 米国
エジプト 3-0 ハンガリー
伊太利 2-0 ルクセンブルグ
瑞典 8-1 白耳義
若し千九百三十二年、ロスアンゼルスにオリンピックが開かれる時、日本のティームが米国を圧迫し得るものがあったらそれはアッソシエーションフットボールではない? 僕はそんな空想せへ描いて実はベルゼールに来たのでった。実際米国ではこのゲームはそれ程重きを置かれてゐない。然し僕の考へは全く幻影に過ぎなかった。米軍はこの強敵を向ふに廻し破れたりと雖、勇敢に戦った。
試合開始五分、米軍は先づ例によって強大な体格と、質素なメリヤスのユニホームに星章旗のマークをつけて出場した。之に続いて水色のユニホームをつけたウルガイのティームは国旗を捧げてフヰールドに這入って来た。さうして片手を肩より挙ぐる彼等独特の礼を四囲の観衆に送った。
米軍トスに勝ちキック、オフ。左翼に蹴りセンター出でたるもコンビネーション破れウルガイはセンター、インナー、ウイングと巧妙なるパスを続けて早くも米軍のゴールを襲って来た。混戦数合の後ウルガイの左翼火の出る様な球を塁に向って放ちたるも柱の上辺を擦めて惜しくもアウトす。米軍の塁手なかなか目覚ましく活動する。ウルガイ左の隅蹴を得、正確に塁前に蹴りたるも長身の米軍はヘデング巧みに入れしめず。次で左コーナーよりの隅蹴塁前のヘデングの試合となれる中ウルガイのセンター、ペトローネ中央よりゴールの左隅に蹴込んで塁手見事なるヂャムプをなすも及ばず(十三分)得点する。
米軍のティームワークに一つの重大な欠陥がある。それはフルバックの位置が悪い事だ。常にウルガイの前衛を恐れ定位置を固守し過ぎてゐる。其為完全せるウルガイの前衛の突進は容易に中央線を越へて、フルバック線までオフサイドの心配なく斬進出来る。二人のフルバックが定位置で守備する事は今日の進んだ、蹴球術では到底完成されないとされてゐる。一人のフルバックは機を見て突進し、それと同時にハーフが其欠ををぎなう。さうすれば敵前衛の共同動作はオフ、サイドによって十分阻まれる。然し米国は未だ欧州のこのシステムを知らないと見へて敵前衛の進出に対して飽くまでフルバック線で堅く守らうとした。二人に五人然もオフサイドの心配がないとすれば防御の方が負けるに極ってゐる。オフサイドルールは更に三人のフルバックに相当するといふ理論を米軍は知らなかった。
ウルガイの右翼はライン近くを廻り進みゴール戦上殆どアウトと見えし球を線に沿ふてキックした。米軍は既にアウトと思って油断した処を其球はライト、インサイドから見事にシュートされた(廿分)。
ウルガイ軍のショート・パス、ドッジングは実に自由自在で米軍は全く奔命に労れた。機会は殆んど米軍にはなかった。ただ彼等は優れた体力を以て奮闘する勇気があった。無茶苦茶にキックする蛮勇を有ってゐた。ウルガイは巧みにそれを避けて攻めて攻めて攻め抜いて行った。ライトウイングのネーヤとレフトウイングのロマノーは大会の花である。サイドラインを廻しては両翼から蹴って来る。球は常に塁前に飛んで絶間なく米軍の心胆を寒からしめた。
ウルガイのライト、インナー、ドリブルで塁前まで進み、シュートすると見せて球は巧みにセンターへ送られた。ペトローネ見事な一蹴をやってまた一点。ハーフタイム。
後半戦は米軍死物狂ひに奮闘して一点も入れしめなかった。然しウルガイの塁を襲ふ事は殆んど出来なかった。米軍は実力の限りを出して戦った。さうして敗るべき敵に敗れたのであった。覇業成らず悲しげなエールを残して帰り行くティームは流石に観衆の同情を惹ゐた。
それにしてもウルガイの前衛は巧者であった。小さいパスを繰り返してゐるかと思ふと一線になって敵塁に迫って行く。其前進の雄々しさは軽騎兵が一列に前進して行く様な見事さである。”(p.283-287)
« 岡部平太のパリ・オリンピックサッカー観戦記④ 「チェコスロバキア対瑞西」『世界の運動界』より | Main | 岡部平太のパリ・オリンピックサッカー観戦記⑥ 「瑞西対チェコスロバキア」『世界の運動界』より »
Comments