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大正期における大阪毎日新聞の成長とスポーツ・イベント

はじめに

 現在の全国高等学校サッカー選手権大会は1918(大正7)年1月に開催された日本フートボール大会(大阪毎日新聞社主催)を起源としている。大日本蹴球協会の設立は1921(大正10)年9月なので、現存するサッカー大会としては、協会設立以前に開始し、現在まで存続している唯一・最古の大会である。この大会が競技団体でなく、新聞社主催で開始された背景には、大正期における大阪毎日新聞社の急速な成長があった。

1. 発行部数

 『毎日新聞販売史. 戦前・大阪編』(川上富蔵編著 毎日新聞大阪開発 1979)の「発行部数一覧表」(p.604)および『朝日新聞販売百年史 : 大阪編』(大阪本社販売百年史編集委員会編 朝日新聞大阪本社 1979)の「朝日新聞創刊以来の部数の推移」(巻末折り込み ページ付なし)によれば、1912(大正1)年~1926(大正15)年のの発行部数は以下のとおりである。

年          大阪毎日新聞(カッコ内は同年の大阪朝日新聞)の発行部数

1912(大正1)年 283,497(190,767)
1913(大正2)年 307,130(198,743)
1914(大正3)年 321,454(241,777)
1915(大正4)年 392,106(240,740)
1916(大正5)年 451,303(259,924)
1917(大正6)年 491,160(315,583)
1918(大正7)年 541,843(342,386)
1919(大正8)年 513,414(341,300)
1920(大正9)年 602,408(376,032)
1921(大正10)年 686,539(444,552)
1922(大正11)年 824,941(562,700)
1923(大正12)年 920,795(585,294)
1924(大正13)年 1,111,459(689,974)
1925(大正14)年 1,221,138(754,373)
1926(大正15)年 1,230,869(782,709)

大正年間に大阪毎日の発行部数は4.3倍に、大阪朝日は4.1倍に増加している。大阪朝日新聞社主催の全国中等学校優勝野球大会(現・全国高等学校野球選手権大会)が1915(大正4)年に開始され、現在に続いている。朝毎ライバル2社は大正期に右肩上がりで急成長し、争ってスポーツ・イベントに参入していたのである。

2. 株式会社化と資本金の増資

 『近代日本新聞小史 : その誕生から企業化まで 改訂版 』岡満男著 ミネルヴァ書房 1973 (p.203)によれば、

資本金50万円の合資会社だった大阪毎日新聞社は、

1918(大正7)年12月21日に株式会社に改組し、資本金を120万円に増資、 
1922(大正11)年5月10日250万円に増資、
1924(大正13)年10月10日500万円に増資、

している。わずか6年間で資本金は10倍になっている。

ライバルの大阪朝日新聞も資本金60万円の合資会社だったのが、

1919(大正8)年7月31日株式会社に改組し、資本金を150万円に増資、
1920(大正9)年4月2日200万円に増資、
1922(大正11)年5月23日400万円に増資、

している。

3. スポーツ担当セクションの独立

 『大阪毎日新聞社史』(小野秀雄著 大阪毎日新聞社 1925)の「第二編 第六章 現今の本社」には、大阪本社編輯局に以下の部門が記載されている。

“整理部、内国通信部、外国通信部(支那課)、社会部、経済部、中央連絡部、論説課、編輯課、校正課、運動課、エコノミスト部、英文大阪毎日、点字大阪毎日”(p.160)

1925(大正14)年時点で、社会部、経済部と並んで「運動課」が独立していたことを確認できる。

4. 新聞社のイベント中のスポーツ事業

 『大阪毎日新聞社史』(小野秀雄著 大阪毎日新聞社 1925)「第二編 第五章 発行部数百万部を突破す」には「定期的催し物」として以下が記載されている。


開催の月 種類          社との関係

一月 日本フット・ボール大会 主催
同  全国中等学校駅伝競走 後援

二月 大阪府下女学校音楽大会 主催

三月 梅若流能楽大会 後援

四月 全国選抜中等学校野球大会 主催
同  日本硬式庭球大会 同
同  日本女子オリムピック大会 後援

五月 春陽会美術展覧会 同
同  日本オリムピック大会 主催
同  関西短艇競漕大会 後援

七月(ママ) 全国専門学校野球大会 同
同       大阪府大学、専門学校陸上競技大会 後援

七、八月 浜寺海水浴場並に天幕村 主催
同     浜寺水練学校 同

七月 全国中等学校庭球大会 同

八月 京阪神実業団庭球大会 同
同  全国女子中等学校庭球大会 同
同  専門学校、中等学校水泳大会 同

十月 大阪府下中等学校陸上競技大会 後援
同  大阪市学童オリムピック大会 同
同  日本学童オリムピック大会 同
同  梅若流能楽会 同

十一月 女子ヴァレーボール大会 主催
同    同バスケット・ボール大会 同
同    全国学生相撲大会 同

十二月 慈善団基金募集慈善興行 同
同    乗馬練習会 後援”(p.149-150)

大阪毎日新聞社は定期的スポーツ・イベントとして、フット・ボール(サッカー、ラグビー)、駅伝、野球、硬式庭球、オリムピック、競漕、陸上競技、水泳、バレーボール、バスケット・ボール、相撲、の大会を開催・後援しており、サッカーだけを特別視していたわけではない。これらの中には、高校ラグビー、選抜高校野球、高校駅伝、浜寺水練学校などのように、今日まで毎日新聞社主催で引き継がれてきたものもある。

5. 「全国紙」へ

 大阪毎日は関東では東京日日新聞(1911年より)、大阪朝日は同じく東京朝日新聞(1888年より)を刊行し、関東に進出していたが、1923年の関東大震災以前の関東では報知新聞、時事新報、国民新聞の3大紙に続く4、5番手であった。『後楽園スタヂアム50年史』(後楽園スタヂアム, 1990)に読売新聞社名誉会長務台光雄が「後楽園球場はどうして出来たか 読売新聞の発展と巨人軍の関係」を寄稿しており、関東大震災前後の関東新聞販売情勢を以下のように記述している。

“私が、正力前社主の要請により、読売新聞社へ入ったのは、昭和4年の8月であります。ところで東京において発行された新聞は、大正12年の8月には、報知、時事、国民の三大紙が発行部数、30万部以上を出しておりましたが、朝日、毎日の両紙は20万部台で、3、4万部の夕刊紙を別にして万朝、やまと、中央、中外商業、都、読売、毎夕、ニ六など10万部台の新聞を合わせて13の新聞社が、それぞれ特徴のある新聞を発行し競合しておりました。それが大正12年9月1日に起こった関東大震災により、全部の新聞社が壊滅して、発行不能に陥ったのであります。

 この時、朝日、毎日の両社は、この時期を逸しては、と大阪本社と協力し、その援護のもとに資金にものをいわせて、あらゆる方法をもって東京の新聞社に大攻勢を加えたのであります。(大阪朝日は、明治12年の創刊、大阪毎日は、明治21年の創刊ですが、この時、両社は西日本全体に100万部以上の部数を確保し、多くの利益を挙げて磐石の地位を築いておりました。)これが、日本はもとより、世界においても例のない激烈な競争が行われた新聞戦国時代であります。その結果、東京の新聞社は、各社とも非常な経営難に陥り、経営者の交代が頻々として行われ、そのあと政財界の有力者が経営を引き受け、新たに資金を投入して、大勢を挽回しようと努力しましたが、何れも長く続かず、漸次凋落し、やがて、すべての新聞社が廃刊、合併の余儀なきに至り、日本の新聞界は、朝日、毎日の両社によって制覇されるに至ったのであります。”

 1923年の関東大震災を機に関東3大紙をはじめとする関東諸紙を軒並み駆逐し、毎日と朝日の2大紙が、戦後読売が台頭するまで、「全国紙」として君臨することになる。『毎日新聞販売史. 戦前・大阪編』(川上富蔵編著 毎日新聞大阪開発 1979)の「発行部数一覧表」(p.604)および『朝日新聞販売百年史 : 大阪編』(大阪本社販売百年史編集委員会編 朝日新聞大阪本社 1979)の「朝日新聞創刊以来の部数の推移」(巻末折り込み ページ付なし)によれば、1923(大正12)年に373,979部であった東京日日新聞の発行部数は翌1924(大正13)年には688,626部(84.1%増)、同じく東京朝日新聞は289,464部から410,221部(41.7%増)となっている。

 毎日新聞は東西合計で1921(大正10)年に100万部を突破、1924(大正13)年には大阪毎日単独で100万部を突破、1926(大正15)年には東西合計で200万部を突破、1930(昭和5)年には東京日日単独で100万部を突破している。1936(昭和11)年には九州(西部)と中部にも進出、1940(昭和15)年には全国で300万部を突破している。毎日とほぼ同時に朝日も九州支社(1935年)、名古屋支社(1936年)を設立して、朝毎2紙の全国制覇が達成される。


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