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日本サッカー通史の試み(21) 小学校へのサッカー普及

21. 小学校へのサッカー普及

 後藤健生著『日本サッカー史 : 日本代表の90年 : 1917-2006. 資料編』(双葉社 2007)にベルリン・オリンピック日本代表監督だった鈴木重義のプロフィールがあり、以下のように記載されている。

“1902年生まれ。豊島師範付属小学校でサッカーを始め、東京高等師範付属中学を経て、早稲田高等学院・同大卒。早稲田ではア式蹴球部を創設。(以下、略)”

鈴木は1902年生まれなので、小学校卒業は1914年頃になる。豊島師範にサッカーを伝えたのは東京高師1909年卒の内野台嶺。豊島師範附属小学校では1910年代前半(大正初期)にはサッカーが始まっていたようである。日本サッカーのルーツ校、東京高等師範学校の卒業生の多くが師範学校教員となったので、中等教育機関ではまず師範学校にサッカーが普及した。師範学校には必ず師範学校附属小学校があったので、小学校レベルでは、まず師範学校附属小学校にサッカーが普及した。明治時代にサッカーが普及した青山、豊島、埼玉、御影各師範では、年代不詳ではあるが下記の図式で相当早くから附属小学校までサッカーが普及したようである。

東京高等師範学校→師範学校→師範学校附属小学校

 1922年には東京蹴球団主催の第1回関東少年蹴球大会(東京朝日新聞後援)が始まる。この大会は1940年第19回まで続く。「関東」という名を冠しているが、実際に参加したのは東京と埼玉の小学校に限られる。参加チーム数では、1924年第3回(25チーム参加)、1925年第4回(22チーム)頃が最盛期だったようである。埼玉からの参加校は主として浦和勢であるが、1925年の大会には児玉小学校も参加しており、地方への浸透がみられる。1936年第15回~1940年第19回まで浦和第二小学校が5連覇しているが、同小の指導者は戦後1950年~1970年に浦和西高校を指導し、同高を全国屈指の強豪に育て上げた藤浪武三氏である。東京蹴球団については、「日本サッカー通史の試み⑩ 東京蹴球団の創立と活動」も参照されたい。

 1924年には豊島師範のOBクラブ、豊島サッカー倶楽部主催の第1回全国少年蹴球大会(時事新報後援)も始まる。この大会は少なくとも1931年第8回まで続いたようである。この大会も「全国」という名を冠しているが、参加したのは東京、埼玉の小学校のみだった。

 1925年に出版された小学校教員向けサッカー指導書、山田午郎著『ア式フットボール』(杉田日進堂 1925)によれば、当時上記2大会以外に埼玉師範のOBクラブ、埼玉蹴球団主催の小学生サッカー大会もあった。

 東京朝日新聞社運動部編、『朝日スポ−ツ叢書 第1 ホツケ−・ラグビ−・蹴球・籠球・排球』(朝日新聞社 1930)に小学校へのサッカー普及に関する以下の記述がある。

“斯うした機会は度重って自然全国的にチームがチームが著しく増加し、諸所に中等学校大会が挙行され、一方、東西呼応してカレヂ・リーグが成立するといふ有様で蹴球界は興隆の一途を邁進する事になりました。この中に見逃せないのは少年蹴球の発達であります。就中、大正十一年に東京蹴球団が主催で東京朝日新聞社後援の下に関東小学校蹴球大会を開いたのが全国的にセンセイションを捲き起して今日では北に函館、南は広島と十数ケ所にこの種の大会が催されて、未来の大選手の卵である少年選手は頻りに活躍して、青年選手も及ばぬ妙技を示して観衆をアッと言はせて居ります。”(p.125)

1930年時点で、北海道から広島県にかけて10数ケ所小学生サッカー大会があったようだ。

 1936年オリンピック・ベルリン大会代表のプロフィールを記した「オリンピック派遣代表選手紹介」 『蹴球』第4巻第2号 1936.6 p.4-7 には、「蹴球を始めた時」の項がある。加茂健(22歳)、西邑昌一(25歳)、加茂正五(21歳)、金容植(27歳)、竹内悌三(29歳)の5選手が小学校からサッカーを始めている。彼らの小学生時代は大正後期から昭和初期にあたり、大正期における小学校へのサッカー普及が、スウェーデンを破ってベスト8入りする「ベルリンの奇跡」の遠因となっということもできよう。

 チョー・ディン著『How to play association football』(平井武 1923)と山田午郎著『ア式フットボール』(杉田日進堂 1925)はともに大正期の出版物で無料全文アクセス可能なので、誰でも読むことができる。シュートコースを三角関数を用いて説明するような高学歴者向けのディンの著書と小学生指導者向けの山田の著書は、大正期におけるサッカー普及レベル多様化を示すものとして、サッカー図書出版史的にも興味深い。

 

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Comments

はじめてお便りします。私の父は昭和3年生まれ、浦和第二小(現埼玉県さいたま市立常盤小)の出身です。私の息子がサッカーをやっていることもあり、小学校の時にサッカーで少し大きな大会に出て優勝したことをよく話してくれるのですが、本当かどうかわからずにおりました。父の話では相手は児玉小、場所は今の国立競技場が出来る前の、神宮でやったとのこと。その通りの記録がしっかり残っており本当であることが確認できました。

Posted by: 鈴木俊保 | March 04, 2012 05:44 PM

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