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日本サッカー通史の試み⑫ 日本フートボール大会

12. 日本フートボール大会

 1918年1月阪急豊中運動場で大阪毎日新聞主催第1回日本フートボール大会が開催された。アソシエーション式とラグビー式の2種のフットボールが行われ、それぞれ現在の全国高等学校サッカー選手権大会、全国高等学校ラグビーフットボール大会に続く、現存する最古のサッカー、ラグビー大会となる。

 大阪毎日新聞が主催したのは、3年前の1915年に大阪朝日新聞が全国中等学校優勝野球大会(現・全国高等学校野球選手権大会)を開催し、翌1916年にも第3回極東選手権関西予選会を主催するなど、ライバル大阪朝日新聞がスポーツ・イベントで大攻勢をかけてきたことに対抗するねらいがあったと考えられる。

 「日本」という名を冠しているが、サッカーの参加校はすべて近畿地区。1府県から複数校が出場できるオープン参加制であったが、参加校数は8校であった。第8回までは、同時期に始まった東京蹴球団主催関東蹴球大会同様、オープン参加の実質近畿大会であった(関東蹴球大会については「日本サッカー通史の試み⑩ 東京蹴球団の創立と活動」参照)。

 第1回から第8回までの決勝の成績と参加校数およびその校種(中学校、師範学校、実業学校)別数を示す。

1918年第1回 御影師範1-0明星商 8校(中3、師4、実1)
1919年第2回 御影師範5-0明星商 10校(中5、師4、実1)
1920年第3回 御影師範4-1和歌山中 13校(中7、師5、実1)
1921年第4回 御影師範3-0姫路師範 14校(中8、師5、実1)
1922年第5回 御影師範3-0神戸一中 18校(中10、師6、実2)
1923年第6回 御影師範4-0姫路師範 18校(中10、師6、実2)
1924年第7回 御影師範5-1京都師範 18校(中8、師6、実4)
1925年第8回 神戸一中3-0御影師範 22校(中11、師7、実4)

(全国高等学校体育連盟サッカー部編『高校サッカー60年史』(全国高等学校体育連盟サッカー部 1983)より作成。参加校数には棄権も含む)

 第8回までののべ参加校数は121校、校種別内訳は、

中学校 62校(51.2%)
師範学校 43校(35.5%)
実業学校 16校(13.2%)

である。優勝・準優勝校のべ16校の校種別内訳は、

中学校 3校(18.8%)
師範学校 11校(68.8%)
実業学校2校(12.5%)

である。

 師範学校は、御影師範が第1回から7回連続優勝し、師範学校全体で4回準優勝している。「日本サッカー通史の試み⑤ 大正期の学制とサッカー」で説明したように、師範学校は中学校、実業学校と比較して、

1) 最上級生で2歳年長である。
2) 全寮制で通学時間がない。
3) 就職活動の必要がないので、最上級生は卒業の日までサッカーに専心できる。

という優位点があった。関東蹴球大会の結果にも、師範学校が圧倒的に優位である同様の傾向が見られる。

 8回とも兵庫県勢が優勝しているが、この時代はオープン参加の近畿大会だったので、全国高等学校サッカー選手権大会の出場・優勝回数にこの時代の出場・優勝回数を含めるのは問題があろう。

   

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