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日本サッカー通史の試み⑱ 全国優勝競技会(現・天皇杯全日本サッカー選手権大会)の開催

18. 全国優勝競技会(現・天皇杯全日本サッカー選手権大会)の開催

 FA銀杯寄贈がきっかけになって1921年9月10日に創立された大日本蹴球協会は、創立直後にFA銀杯争奪戦である第1回全国優勝競技会(現・天皇杯全日本サッカー選手権大会)を開催する。中部予選会は僅か13日後の9月23日に開催されるという早業であった。FAカップ同様、協会登録チームなら参加できるカップ戦として開催された。参加登録チームは以下のとおりである。高等教育にサッカーが普及しつつあることが見て取れる。しかし、慶應は体育会の部ではなく(体育会ソッカー部となるのは1927年)、早稲田は大学ではなく予科(高等学院)のチームである。『大日本蹴球協会会報 大正10年度』に詳細な記録が残されている。

東部予選会

クラブチーム(5チーム):東京蹴球団 アストラ倶楽部 ドラゴン倶楽部 台湾青年体育倶楽部 タイガース倶楽部
高等教育チーム(6チーム):東京帝国大学 慶應アッソシエーションフットボール倶楽部 東京高等師範学校 水戸高等学校 早稲田高等学院 東京商科大学
中等教育チーム(9チーム):豊島師範学校 青山師範学校 埼玉師範学校 東京高師附属中学校 横浜第二中学校 佐倉中学校 豊山中学校 独乙協会中学校 明治学院中等部

中部予選会

クラブチーム(1チーム):名古屋蹴球団
中等教育チーム(2チーム):愛知県第一師範学校 明倫中学校

近畿・四国地方

予選会は開催されず、大阪毎日新聞社の推薦により御影師範学校を代表と認定。

中国・九州地方

予選会は開催されず、山口高等学校を代表と認定。

 東部予選会は、同年春の極東選手権に代表7人を送り込んだ東京蹴球団が、対慶應6-1、対高師附中5-0、対豊島師範2-0、対青山師範2-0、で勝ち上がった。中部予選会は名古屋蹴球団が勝ち上がった。

 全国大会は11月26、27日に日比谷公園大運動場で開催された。中国・九州地方代表の山口高校は棄権し、残りの3チームで行われた。1回戦は御影師範が名古屋蹴球団を4-0で破り、決勝では東京蹴球団がコーナーキックからCF日本代表の安藤弘平がヘディングで決めた1点を守り、1-0で御影師範に勝利した。FA銀杯はエリオット英国大使から東京蹴球団主将山田午郎に手渡された。

 1924年に明治神宮外苑競技場が開場し、内務省主催で国内総合競技大会である明治神宮競技大会(現在の国民体育大会のような大会)が開催されるようになると、その蹴球部門という形で開催される。同年に大学リーグ戦である東京コレッヂリーグが始まり、同リーグ1部が日本のトップリーグとなる。リーグ戦とカップ戦の開催時期がまったく重なっており、現在同様、トップチームはリーグ戦を重視し、カップ戦を軽視する傾向が見られた。

 初期の優勝チームにはアストラ倶楽部(暁星中OB 1923年第3回)、鯉城クラブ(広島一中OB 1924年第4回)、鯉城蹴球団(広島一中OB 1925年第5回)、神中クラブ(神戸一中OB 1927年第7回)のような中学校OBクラブチームが多い。1871-72年度に始まったFAカップでも1870年代にはWanderers(ハロー校のOBチーム)やOld Eatonians(イートン校のOBチーム)のようなパブリック・スクールOBクラブチームが数多く優勝しており、同様の傾向が見られるのは興味深い。

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