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日本サッカー通史の試み⑭ 大日本蹴球協会の創立(1)

14. 大日本蹴球協会の創立(1)

14.1 FAによる銀杯の寄贈

 大日本蹴球協会の創立のきっかけとなったのは英国FAによる銀杯の寄贈であった。そのことを報道した『東京朝日新聞』1919年3月12付の記事の全文を以下に記す。

日本の蹴球戦奨励の為英国から銀盃を 来年から純然たる日本学校チームを作り最優勝者に授与する

英国蹴球協会は同国外務省の手を経て我英国大使館へ蹴球優勝銀盃を贈って来た。それは今から二週間許り前の事であるが銀盃の高さは十六吋、口径は七吋で其表面には『英国蹴球協会より日本へ贈る』と英語で彫られてある黒塗の台を付れば十九吋半の高さになる。英国蹴球協会が此銀盃を贈って来た意味は日本に於ける学校チームの発達を促進、奨励する目的であって、昨秋から英国大使館員が中心となって現在行はれてゐる高師を初め各学校のリーグマッチの優勝者に[やが]て授与される訳になる。併し本年は大使館員や支那人などが交ってゐるから本年から大使館員などはリーグ戦に参加せず純然たる日本学校チームのリーグ戦とした上優勝者に与へる筈であるといふ。従って本年度迄英国大使館員が中心とも見られてゐたリーグは新しく設立せらる徳川家達公及び英国大使を名誉総裁とする日本蹴球協会の管下に属する事となり将来は東京のみでなく日本全国に大会を開いて最優勝者に名誉総裁から此優勝盃を与へる事になるであらう。斯くしてこそ英国蹴球協会の厚意を初めて満足せしめる訳になるが日本蹴球協会は嘉納高師校長が本年の十月頃迄に委員を選んだ上委員会を開いて総ての具体的草案を拵へる予定である。因に右の銀盃は近日の中三越呉服店に陳列して一般の観覧に供する筈であると云ふ。”

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 “昨秋から英国大使館員が中心となって現在行はれてゐる高師を初め各学校のリーグマッチの優勝者に[やが]て授与される訳になる。”というのは英国大使銀杯争奪リーグ戦(仮称)のことである。

 “併し本年は大使館員や支那人などが交ってゐるから本年から大使館員などはリーグ戦に参加せず純然たる日本学校チームのリーグ戦とした上優勝者に与へる筈であるといふ。従って本年度迄英国大使館員が中心とも見られてゐたリーグは新しく設立せらる徳川家達公及び英国大使を名誉総裁とする日本蹴球協会の管下に属する事となり将来は東京のみでなく日本全国に大会を開いて最優勝者に名誉総裁から此優勝盃を与へる事になるであらう。”というのは、せっかく英国FAが寄贈してくれた銀杯が英国大使館チームや中国人留学生チームのような外国人チームに渡っては、日英親善の目的が無意味になるので、日本人チームのみによるサッカー戦を新たに創設し、今後創設されるはずの「日本蹴球協会」の管理下に置き、東京地域だけでなく全国的なサッカー戦とすることが記されている。

1) 日本人のみによる銀杯争奪リーグ戦の創設
2) 「日本蹴球協会」の創立
3) 大会の全国化

が想定されている。取材日は記事前日の1919年3月11日であろうが、FA銀杯を体協会長嘉納治五郎が受領するのは3月28日であり、取材の時点では銀杯は英国大使館内にあった。従って記者が取材したのは英国大使館員であり、上記はすべて英国大使館側の意向である。

 英国大使館員が日本人による全国的なサッカー戦や協会創立を新聞記者に語るのは不可解に思えるかもしれないが、そもそもFAによる銀杯の寄贈も英国大使館の手まわしによるものだった。

 『The Times』1919年1月3日付には以下の記事がある。

“   FOOTBALL CUP FOR JAPAN

The Football Association are sending to-day to
Japan a handsome silver cup as a perpetual trophy,
to be played for by clubs in that country on lines as
closely following the conditions of the national com-
petitions in this country as circumstances will permit.

 The request that the cup should be given by the
Football Association came through the British
Foreign Office, and it was complied with immediately.”

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FAに対するカップ贈与の要請は英国外務省を通してもたらされた(The request that the cup should be given by the Football Association came through the British Foreign Office)”ことが明記されている。

 FAが英国外務省の要請に応えて、日本のサッカー戦用のカップを寄贈し、日英親善に貢献した事にに対し、FA会長のキンナード卿がバルフォア外相による感謝の意を表した礼状を受け取ったことも『The Times』1919年1月23日付記事が報じている。

“   SPORT AND INTERNATIONAL
        FRIENDSHIP
        ---------
      THE FA'S GIFT TO JAPAN

 Some weeks ago it was announced that the Football
Association had presented a challenge cup to Japan
and the president of the F.A., Lord Kinnaird, has
receved the following letter from the Foreign Office--

 I am directed by Mr. Secretary Balfour to state
that he has been informed that the Football Associa-
tion has been so good as to provide a challenge cup
for competition among Japanese football teams,
and that the cup has now been forwarded to H.M.
Ambassador at Tokyo for presentation.

 I am to request you to express Mr. Balfour's thanks
to the Football Association for their generous action,
as he is sure that the encouragement of the sport by
such a means will contribute to the cordiality of
unofficial Anglo-Japanese relations.”

Cimg1051

また、FAの歴史を記した『The history of the Football Association』(London : for the Football Association by The Naldrett Press, [1953])にも,

“1919 - Communications from the Foreign Office were considered by the F.A. Emergency Committee. The Committee authorized the purchase of a Silver Cup and invited its acceptance through His Britannic Majesty's Embassy in Japan, as a perpetual Challenge Cup for Competition in that country.”(p.488)

とあり、外務省から要請されて銀杯を寄贈したことが述べられている。

14.1 FAによる銀杯の寄贈の背景

 ではなぜ英国大使館が本国外務省を動かしてまでFAに対するカップ寄贈要請を行ったのであろうか。英国大使館員のヘーグ氏が大使館チームを作り、英国大使銀杯争奪リーグ戦を行うほどのサッカー好きだったから、というのでは「公務」としてカップ寄贈要請が行われ、本国外相がFA会長に感謝状を送る理由とはなりがたいであろう。また、私的な要請であれば、本国外務省が『The Times』紙にわざわざ情報をリークすることもなかろう。

 当時の日英関係を考察すると、目立つ事件としては1921~1922年の両国皇位継承者(皇太子)による相互訪問があげられる。 1921年3月3日~同年9月3日に日本皇太子(後の昭和天皇)が訪欧(訪英)し、1922年4月12日~同年5月9日に英国皇太子(後のエドワード8世)が訪日している。従って、日英大使館、外務省はその前から日英親善ムードを盛り上げる必要があった。

 エドワード皇太子はスポーツ好きで知られ、訪日中に陸上400mにプリンス・オブ・ウェールズ・カップを寄贈し、日本皇太子と東京ゴルフ倶楽部(現・駒沢オリンピック公園)でラウンド、大相撲を観戦し、関西訪問中には大谷光明と西本願寺で、随員と奈良高等女子師範学校(現・奈良女子大学)でテニスをしている。オリンピック選手団にも役員格で参加しており、1924年のパリ・オリンピックにおける英国陸上代表チームを描いた映画『炎のランナー』で、宗教上の安息日を守るためレース出場を辞退するというエリック・リデルに「国のために走れ」と説得する皇太子がエドワードである。

 日本皇太子の訪英は一大外交案件であるので、英国大使館にはかなり前から内々に打診があったはずである。日本皇太子が訪英すれば、次は英国皇太子の訪日となるが、大英帝国の熱帯地域植民地にも寄港・訪問していく行程上、来日は春シーズンとなることは予測できたであろう(実際、エドワード皇太子は2月にセイロンを訪問している)。訪日シーズンは英国ではサッカー・シーズンの大詰めであり(1922年のFAカップ決勝は4月29日土曜日にスタンフォード・ブリッジで行われ、ハダーズフィールドがプレストン・ノース・エンドを1-0で破っている)、英国大使館・英国外務省は「日本のFAカップ」が皇太子訪日中に日英皇太子の台覧試合として行なわれることが本国で大々的に報道されることを期待していたのではないだろうか。

 英国では第一次世界大戦前にイングランドのフットボール・リーグが年間900万人近い観衆を集め、サッカーは国民的大衆スポーツとして成熟していた。1914年のFAカップ決勝には初めて英国王ジョージ5世が臨席し、優勝チームの主将にFAカップを手渡している。これ以降FAカップには「ロイヤルカップ」としての価値が付加されることになる。皇太子訪日の1年後1923年4月28日には“サッカーの聖地”ウェンブリー(エンパイア)スタジアムが開場する。英国本国で大衆的人気のあるサッカーに英国王室が「接近」していたタイミングでエドワード皇太子は訪日しているのである。本国大衆にアピールする王室イベントとしての「日本のFAカップ」用カップ寄贈であれば、英国外務省本省までが動いたとしても不思議ではない。

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1914年4月25日のFAカップ決勝で、優勝チームのバーンリーFCの主将トミー・ボイル(Tommy Boyle)にFAカップを渡すジョージ5世(来日したエドワード皇太子の父)

 大日本蹴球協会は設立がもたついて、銀杯寄贈の2年半後の1921年9月10日に創立されるが、創立のタイム・リミットがあるとすれば、英国皇太子来日の前年までということになろう。FAによる銀杯寄贈は日英の新聞で報道されており、英国皇太子来日後に協会設立ということになれば、英国大使館、英国外務省、FAに対して面目を失うことになったはずである。


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