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日本サッカー通史の試み⑤ 大正期の学制とサッカー

5. 大正期の学制とサッカー

 前項で述べたように、大正期には小学校から大学まで、すべてのレベルの学校にサッカーが普及するのであるが、戦前の学制は現在とかなり異なるので、簡単に説明しておきたい。文部科学省が『学制百年史 資料編』の学校系統図をアップしているので、「第7図 昭和19年」をご覧いただきたい。サッカーに関係する学校のみ説明する。

初等教育は尋常小学校(6年制)で義務制。中等教育からは非義務制で、中学校(5年制)、実業学校(2年制の高等小学校を経て3年制 商業学校、工業学校など)、師範学校(2年制の高等小学校を経て5年制)があった。高等教育は、帝国大学進学者は3年制の高等学校を経て帝国大学(3年制)に進学する。私学や高等学校がない地域では高等学校に相当する大学予科(3年制)が用意されており、予科を経て大学(3年制)に進学する。高等師範学校は東京と広島に2校あり、4年制、中学校から進学する者と師範学校卒業生が小学校勤務を経て内地留学のような形で進学する場合があった。

 2年制の高等小学校を経て5年制である師範学校の最上級生は中学校・実業学校の最上級生より2歳上になる。10代後半で2歳差は大きく、戦前の中等学校サッカー大会で師範学校が優勢なのはこの理由による。また、中学生は上級学校受験があったのに対し、卒業後は小学校教員となる就職義務があったので、就職活動の必要もなく卒業時までサッカーに専心できた。さらに、中学校は通学時間を要したのに対し、師範学校は全寮制で蹴球部に入れば年中合宿状態でもあった。東京高等師範学校主催全国中等学校蹴球大会のように、中学校の部と師範学校の部を分けて開催した大会もあったくらいである。

 東大や京大のような帝国大学は高等学校を経て入学するシステムだったので、高等教育期間におけるサッカー生活は高校と大学で3年ずつ2分された。それに対して私学では部活動においては大学予科と大学は一体であり、事実上の6年制であった。1924年に始まった関東・関西の大学リーグの初期においては、全国の高等学校から優秀なサッカー選手をピックアップできた東大や京大が優勢であった。しかし、大学と高校の実力差がつき、高校蹴球部が下部リーグに降格していく(地方の高校はリーグ戦に参加することすらできなかった)と、優秀な中学卒業生を大学予科から1部リーグ(トップリーグ)に出場させて6年間一貫して鍛えることができた早慶、関学のような私学が優勢になっていく。

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