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日本サッカー通史の試み① 日本のサッカーはいつ始まったのか

1. 日本のサッカーはいつ始まったのか

 鉄道唱歌の作詞者として著名な大和田建樹は「フートボール」と題する作品を残している。

“うらうらと霞みわたれる空は。暮れんとしてまだ暮れず。ものより帰るさに見れば。近きあたりの書生なるべし。五六人ひろやかなる芝生にあつまりて。フートボール蹴あそぶ処あり。高くあがりては黄昏月の如くしづかに落ちきたるを。人々あらそひおしたふしつつ。我さきにと両手にうけ。或は蹴そこなひて横に飛ばすを。かたへの童が馳せゆきて奪ひとるなど。いとにぎわしき見物なりけり。彼らがためにここちよげなる春の風は。時々に来りて熱き顔の汗を吹く。”(『雪月花 散文韻文』(博文館 1897) p.153-154)

5、6人の書生がラグビーのハイパントのようにボールを蹴り上げ、それを手で受けている情景を描写している。詩人にとって、フットボールはボールを蹴って遊ぶ遊戯の総称であって、サッカーでもラグビーでもなかった。明治期の文献に「フートボール」、「フットボール」、「蹴球」とあっても、それが必ずしもサッカーないしラグビーを意味しないことに注意すべきである。

 日本人が初めて「フットボール」をしたのは1874(明治7)年であったという記録がある。沢鑑之丞著『海軍兵学寮』(興亜日本社,1942)の「明治七年」の項には以下の記述がある。

“前にも述べましたが、イギリス教師が来着後、間もなく生徒の体育上の欠点について、種々の進言をしました。さうして、現在実施してゐる馬術、剣道の修業等何れも結構であるが、もっと慰安、娯楽的のもの、例へばビリヤード(玉突き)フットボール(蹴球)クリケット等が適当であると注意いたしました。兵学寮幹部に於ても大いに賛成の上、直にビリヤード二台を用意致しまして、北寮食堂に据付け、生徒に練習をさせたのであります。そこでビリヤード心得と称するパンフレットを作成、ちゃうど英国留学より帰朝致しました、服部(潜蔵)海軍大尉が指南役となりまして、生徒に対し種々懇切に教へられました。イギリス教師からも時々突き方について注意を受けたものです。

 また、「フットボール」(蹴球)もイギリス教師より教を受けて、寮内馬場に於て、甲乙両部にわかれ仕合を致しました。”(p.248-249)

一方、旧工部大学校史料編纂会編『旧工部大学校史料』(虎之門会,1931)の「運動」の項にも以下の記述がある。

“フート・ボールハ明治七年大和屋敷ノ頃ヨリノ唯一ノ運動トシテライメル・ジョンス氏之ヲ指導シ虎ノ門ヘ移転後モ引続キバー氏ヤマーシャル氏ガ更ニ指導者トナリ。明治十五年頃ニ於テモ運動中最モ盛ナルモノナリシ、規程モ至極簡単ニテ二班ニ分レ蹴ルノヲ主トシテ行ハレタリ。”(p.184-185)

 1874(明治7)年に海軍兵学寮と工学寮の日本人生徒が、英国人の指導により、「フットボール」を行ってはいたが、これを日本の「サッカー」の始まりとするのは無理がある。FA Cup Archiveによれば、1874-75年度のFAカップ参加チーム数は30であり、母国イングランドにおいてもサッカーがくまなく普及したといえる状態ではない。世界最古のサッカー公式戦、FAカップが始まったのが1871-72年度であり、1874年はその3年後でしかない。来日した英国人が正式のサッカー(アソシエーション・フットボール)を知っていた可能性は極めて小さいといえるであろう。

 英国人でロンドン大学ユニバーシティ・カレッジ卒のF. W. ストレンジは1875(明治8)年来日し、1899年死去するまで東京英語学校、東京大学予備門、第一高等中学校の英語教師を務め、同時にボート、陸上競技などを指導した。彼は1883(明治16)年に現在の丸善から『Outdoor games』(Z. P. Maruya,1883)という洋書を刊行している。その中に「Football」(p.21-25)もあり(名称がAssociation footballでないことに注意)、

“This game is the most popular of all winter games in England. The game is played between two goals, which are generally about one hundred yards asunder. There must be two sides of players equal in number, the object of each side is to kick the ball through the goal of the opposite side, and prevent it going through their own.”

と紹介されている。しかし、そのルールは完全なアソシエーション式ではなく、ボールがタッチラインから出た場合、スローインではなく、キックインで再開するとなっている。

“4. When the ball is in touch, the first player who touches it shall kick into the course again from where it went out, and at right angles with the touch line.”

 わが国近代スポーツの祖とされる英国人F. W. ストレンジ氏ですらFAルールを知らなかったのである。

 日本語で最初にFAルールが紹介されたのは坪井玄道、田中盛業編『戸外遊戯法  一名戸外運動法』(金港堂 1885)における「フートボール」である。相田与三郎訳『欧米遊戯術』(前川喜兵衛 1897)では、「フートボール」に「アッソシエーション流競技法」と「ラグビー流競技法」の2種類があることが記されている。

 しかし、日本人が19世紀中に正式のFAルールで試合を行ったという記録はない。日本人が確実にFAルールでサッカー試合をしたといえる最古の記録は1904年、東京高等師範学校対Yokohama Cricket & Athletic Club戦であり、20世紀になってからである。

 よく「野球もサッカーも明治初期に伝来したのに、サッカーは野球ほど普及しなかったのはなぜか?」という設問がされることがあるが、サッカーが始まったのは20世紀初頭であり、設問の設定自体が誤っているのである。日本のスポーツを牽引してきた早慶両校の野球、サッカーの部の成立年は以下のとおりである。

野球:慶應義塾体育会野球部 1888年(当時は三田ベースボール倶楽部) 早稲田大学野球部 1901年
サッカー:慶應義塾体育会ソッカ―部 1927年 早稲田大学ア式蹴球部 1924年

慶應で40年弱、早稲田で20年以上のタイムラグがある。日本のサッカー界の主流を形成してきた東大、早慶、関学のサッカー部の創立は1920年前後であり、野球との時差はその競技の始まりの時期の差を反映したものにすぎない。

 日本が開国し、横浜や神戸などに外国人居留地が設けられ、外国人による「フットボール」が行われたことについては、ロンドン発行の新聞『The Graphic』1874年4月18日付に「A FOOTBALL MATCH AT VOKOHAMA(ママ) JAPAN」と題する記事があり、以下のイラストが掲載されている(本文はない)ことが知られている。

Yokohama

 サッカーというより、ラグビーのモールまたはラックのように見えるが、『The Penny Illustrated Paper and Illustrated Times』紙1875年10月30日付けの「FOOTBALL」と題する記事によれば、1875-76シーズンのFAカップ1回戦、1875年10月23日に行なわれたWanderers対1st Surrey Rifles戦のイラストも上記と同様のイラストである。

Facup

 また、世界最初のサッカー国際公式戦、1872年11月30日グラスゴーで開催されたスコットランド対イングランドのイラストにも以下のような「密集」がみられる。

1872
Wikipedia「1872 Scotland vs England football match」より。

 初期のFAルールでは、ラグビー同様ボールの前方でプレーするのはオフサイドだった。ダンロップがチューブに空気を入れたタイヤを発明するのは1888年であり、チューブによる空気入りボールが使用されるのはその後であるので、ボールの反発力もなかった。従って、サッカーもラグビーのラックのような密集戦があった。イラストのイメージだけでフットボールがサッカーとラグビーにどの程度「分化」していたかを判別するのは困難なようである。

 


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