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日本サッカー通史の試み⑲ 高等教育へのサッカー普及

19. 高等教育へのサッカー普及

 1921年第5回極東選手権上海大会の予選会に関西代表として関西学院が名乗りを上げ、同年秋の第1回全国優勝競技会東部予選会には東大、慶應、早稲田が参加している。1920年代後半から日本サッカーを牽引することになるこの4大学では1921年時点でサッカーが行われていたことがわかる。

 1921年暮れに東京帝大、東京商大、早稲田高等学院(早稲田大学の予科)、東京高師の4校でリーグ戦を行うことが企画され、翌1922年1~2月にリーグ戦が実施され、東京高師が優勝した。

 1924年には12校で東京コレッヂリーグ(現・関東大学サッカーリーグ)が開始される。最初から1部、2部のディビジョン制が採用され、1部は早大、東大、東京高師、法政大、慶應大、東京農大(初年度の成績順)、2部は一高、明治大、東京外語学校、青山学院、東京商大、東京歯科医専(同)であった。このリーグの参加校は雪だるま式に増加し、8年後には6部にまで拡大する。

1924年 12校 2部制
1925年 18校 3部制
1926年 21校 4部制
1929年 26校 
1931年 30校 5部制
1932年 31校 6部制
1933年 33校
1935年 37校 大学の部 19校(3部制)と高専の部 18校(3部制)に2分割

参加地域も埼玉、千葉、神奈川に拡大し、1935年には関東学生蹴球リーグに改称する。

 1部リーグの歴代優勝校は関東大学サッカー連盟のHPで閲覧できる。1926年~1931年に東大が6連覇しているが、1925~1928年の4年間は一高が1部リーグに在籍していた。同じ1部の一高の卒業生が東大に新人として入学してくるのだから、東大が圧倒的に強いはずである。東大6連覇の後、早慶が台頭する。大学と高校の実力差が開いて、高校が下部リーグに降格していくと東大が相対的に弱体化する。早慶のような私学は予科と大学本科が一体で、中学卒業生を予科段階から1部リーグに出場させて鍛えることができた。関東と同時に始まった関西の大学リーグでも初期には京大が優勢だったが、その後は関学が優勢になっており、東西共通する傾向があった。

 1923年1月には東大の野津謙が中心になって全国の高校のトーナメント大会、東京帝大主催全国高等学校蹴球大会を開催する。日本サッカー史上の名コーチ、チョー・ディンの指導を受けた早稲田高等学院が初年度から2連覇する。後に東大、京大の共催になり、東京と京都で隔年開催されるようになる。関東、関西の大学リーグ戦に参加できない地方の高校の方がモチベーションが高く、最多優勝は岡山の六高、次いで広島高校だった。

 「日本サッカー通史の試み⑥ 大正期におけるサッカーの普及パターン」で述べたように、中学校のサッカー経験者が大学でもサッカーを続ける形で普及したので、1920年代後半に日本のサッカー水準は急速に向上する。野球でも1901年創部の後発の早稲田は、中学校の野球経験者(例えば中心選手の橋戸信は青山学院中の名選手だった)が入部したので、先行する慶應や一高を数年で凌駕し、1905年には米国遠征まで敢行する。1900年代の早稲田における野球と同様の事象が1920年代の大学サッカー界で起きたのである。1927年以降の極東選手権で日本サッカーはフィリピンを凌駕し、中華民国とは対等のレベルとなる。

 1965年に社会人の日本サッカーリーグが誕生するまで、関東大学サッカーリーグ1部が日本サッカーのトップリーグであり続けた。釜本邦茂(ヤンマー 早大卒)、杉山隆一(三菱重工 明大卒)、小城得達(東洋工業 中大卒)のような日本サッカーリーグの中心選手も関東大学サッカーリーグOBであり、1990年代に日本サッカーがプロ化するまで、大学サッカーが日本代表選手の供給源であった。1925年極東選手権マニラ大会以降、日本代表は大学生(高校、大学予科を含む)、大学OBが多数をしめるようになる。日本が参加したフル代表の世界大会の大学生・大学OB比率は以下のとおりである。

1936年オリンピック・ベルリン大会 15/16=93.8%
1956年オリンピック・メルボルン大会 16/17=94.1%
1964年オリンピック東京大会 16/19=84.2%
1968年オリンピック」・メキシコ大会 16/18=88.9%
1998年ワールドカップ・フランス大会 9/22=40.9%
2002年ワールドカップ日韓大会 2/23=8.7%
2006年ワールドカップ・ドイツ大会 2/23=8.7%
2010年ワールドカップ・南アフリカ大会 3/23=13.0%

 

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